新天地
新天地 2024年8月
教化部長 各務 洋行
「顕幽相携えて」未来を開く生き方を
皆様、早朝から蝉も元気いっぱいの夏真っ盛りですが、ウクライナや中東をはじめ世界の平和を願い、日々『人類同胞大調和六章経』『万物調和六章経』読誦、「世界平和の祈り・新バージョン」を実修して下さっています事、厚く御礼申し上げます。
それにしても暑いですね。梅雨が明ける(7月21日)のと同時のこの猛暑酷暑、年々その度合いが増しているようで、私は対策として帽子と冷蔵のネッククーラーをしての通勤です。こんな事は初めてで、低炭素生活を実践する善一元の信仰に基づいた「倫理的生活」を自他に広める必要性を改めて感じました。エアコン等は我慢せずに適度に使用し、出来るところから実践して参りましょう。
さて、白鳩会では50歳代から60歳代を対象にした「カーネーションの集い」が6月28日に開催され、93名の方が参加されました。その中でご主人に感謝するコーナーがあり、代表の方達の「三行ラブレター」(三行で纏めたラブレター)を映像と共に上映されました。
「結婚してくれて有り難うございます。大好きです」のラブレターがBGMともに紹介されると、会場がぽっと温かい空気になりました。その後、全員でラブレターを書き、家へ帰ってご主人に渡すとある参加者は「とても喜んでくれ、次の日はそのラブレターを額に入れて飾ってくれました」と喜びを語って下さいました。やはり愛情表現はいいものですね。皆様(男性も)も行ってみるといいと思います。
更に、「カーネーションの集い」では人生問題に答える時間もあり、15問の「Q&A」は質問者以外の皆様にも響いたようです。この「Q&A」は壮年世代の集いでもこれまで2回実施し、また7月から始まった大総連別の「喜びと感謝の講演会」でも実施しています。講師会でも定例講師会の他に「実力向上勉強会」として2回実施(5月と7月)しました。今年度の運動方針「救済宗教としての役割」を果たす為でもあり、そこから信仰者を誕生させたいと願っています。
救済宗教の大きな柱として「先祖供養」がありますが、今年も宇治の盂蘭盆供養大祭が期間短縮で開催されます。昨年同様2日間で、斎主として総裁・谷口雅宣先生がご奉祀、白鳩会総裁・谷口純子先生がご臨席されます。参加人数も限定(大阪教区75名)されていますが、皆様、漏れなく御霊様を「霊牌」にお書き下さい。霊牌を宇治に祀る事は、宝蔵神社の本尊神霊に導かれ「菩薩」になると言う大なる意義があります。『聖霊天降る宇治』には次のように書かれています。
「宝蔵神社に祀られるという事は、大神の御導きの許に霊界から人類光明化運動に参画することで、所謂(いわゆる)お寺や霊廟(れいびょう)にお祀りするのとは意味が違って、全国信徒の祖先、既に霊界に往かれた信徒が霊界より光明化運動しているのである」つまり「顕幽相携えて大神の経綸を扶翼する」、言い換えると「霊界の諸霊と現世の私たちとが協力して人類光明化運動を推進する」ことになるのです(『聖霊天降る宇治』65頁)。
ですから御霊様は因縁の境涯を卒業した菩薩の位に上げられる。地蔵「菩薩」となる流産児も同様です。そして比古(女)の命とあるように神様として祀られる(流産児も)。なんと尊い事か。御霊様にとっては大いなる救いです。単なる先祖供養とは全然違います。そのような意義・使命を持って宝蔵神社は昭和35年に建立されたのです。
霊牌供養の流れは具体的には、盂蘭盆供養大祭の本祭で総裁・谷口雅宣先生の祝詞を受け、その後1年間、聖経読誦を数千回受ける。1年後には「御霊抜き」をして「浄火の義」で霊牌を焼納し、その後の「招霊祭」で新たな霊牌に招霊する。この意義について「送霊の詞」には次のように示されています。
「古き霊牌と共に浄火をもって浄めんとするものにして、過去の霊牌より新しき霊牌に移り行きて祀らるるは、みたまにとりては又一つの生まれ更りを経験したまうと同じく浄化向上の機会なり」(『聖霊天降る宇治』106頁)
これも魂向上になると言うのです。菩薩に上げられ神様として祀られる。尚且つ御霊として生まれ更りの機会を得る。浄化されて菩薩としての力をより発揮する。きっと年に1回は霊牌供養される事を待っている。こうして供養された御霊様は私達を導く。
「念の世界に不幸が起こると、最も鋭敏にそれを関知するのは、肉体人間よりもむしろ霊界の人間でありますから、救いたいという念が霊界に起こる」(『生命の實相 頭注版 第21巻
經典篇』59頁)
とありますように、個人の問題のみならず、地上の地球温暖化を関知して「救いの念波」を送ってくれる。いや既にずっと前から送っていた。そして、この先100年後の幸福を導く。その上で私達が実際行動を起こすのです。
『霊界の妻は語る』(453頁)には「十二使徒の一人よりの霊界通信」として次の様に書かれています。
「吾々は諸君を導き、指導の念波を印象し、諸君を助ける。併しすべて最後の決意は諸君みずからが為さねばならない。…諸君の代わりに諸君の生活を送るわけにはいかない」
そうですよね。先祖供養さえしておればそれで良いわけでは無い。導きを受けたら行動をする。これが「顕幽相携えて」の光明化運動です。この先、未来を担うのは子や孫を含めた青少年世代です。先ず、私達がしっかりと善一元の信仰に基づいた「倫理的生活」を生きて、次世代に背中を見せる。人間と大自然が調和した生き方を見せる。その時「青少年」にその生き方が伝わってゆく。未来が開かれて行く。それが先祖の願いでもありますね。「霊牌供養をして菩薩にしてくれて有り難うございます。そして私達先祖の願い、天地一切と調和した生き方をして、子供達に伝えてくれてありがとう」と御霊様から声が聞こえそうです。
更に100年後の子供達からも「私達が住める地球環境を残してくれて有り難うございます。あの時、立ち上がってくれたお陰です」との声も。これらは時代を超えた「三行ラブレター」ではありませんか。
顕幽相携えての人類光明化運動 「盂蘭盆供養大祭、霊牌の流れ」
宝蔵神社にご先祖様をお祀りするということは、神殿に鎮まります本尊神霊(生長の家大神とその御働きである、大国主大神、観世音菩薩、地蔵大菩薩、阿弥陀如来)のお導きのもと、霊界のご先祖様と現界子孫とが、力を合わせて人類光明化運動を推進するという素晴らしい意義があります。

