各種行事
立教95年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(6人目)
ネットフォーラム推進優秀賞
太田 富美子講師 合掌、ありがとうございます。
この度は、本部銓衡個人賞のネットフォーラム推進優秀賞を頂きましたこと、心より感謝申し上げます。
私は、24年前に友人から白鳩誌を頂き、「救われる!」と感動し入信致しました。これまで沢山の諸先輩方、お仲間に助けられ、導かれてきました、そんな中のお1人の方を今回思い出しています。
その方は、岸和田に住んでおられた布井イマ先生です。伝道用の普及誌を買えなかった私に100冊の普及誌を毎月配りなさいとおっしゃって下さいました。
しかし、まだ、小さい子供がいた私に毎月の100冊の伝道は簡単ではありませんでした。1年が過ぎようとするころには、段々と苦痛に感じていました。
ある日いつものように普及誌を頂きに伺うと、玄関まで這って出て来られ、「もう今月で終わりでいいよ」とおっしゃいました。しばらくして、先生はお亡くなりになりました。先生のお葬式で懺悔とお返しを何にも出来ていない申し訳なさに泣きまくっていた私に、地元の西野三喜子先生が「泣かなくてもいい、感謝しているならば、これから別の誰かに同じように親切にしなさい」とご指導くださいました。
私は現在、支部・誌友会・会員対策部長を拝命しております。対策部では、房本喜久美・白鳩会連合会長からネットフォーラム開催、毎月500回というテーマを頂きました。対策部会で皆様に開催のお願いをして参りました。皆さん、ドンドン開催をしてくださいます。皆様が愛を出されていくお姿に、自分はお願いだけしていて、いいのかと言う思いが湧いて来ました。開催と新人推進を決意いたしました。
私は日頃から、知りあいになった方にすぐに自分は宗教をしていることをお伝えしています。お茶している時、車で移動中等、お話の中に「この前こんな話聞いたよ」とか、子育てや、夫婦観、人付き合いの話になると「こんな風に考えると楽だって教えてもらってるよ」と気軽に話しています。ですから、動画を送ることはハードルの高い事ではありませんでした。皆さん「有り難う、よかった。」「わかりやすかった。」と感想を下さいました。その中から、女子力アップネットフォーラムに参加してくれたり普及誌購読に繋がった方もいます。開催が増えたり、参加人数が増えると嬉しいですが、数の奥に笑顔があるのだといつも思います。
自分が生長の家にご縁を頂き、幸せに暮らしていることが当たり前ではなく、すごい確率でご縁を頂いているのだと思うと、どなたかに幸せのバトンを渡さなくては! と思います。支部・誌友会・会員対策部長を拝命した、私の使命を感謝しながら、行動に表現していきたいと思います。ありがとうございます。
再拝
立教95年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(5人目)
布教功労賞
清水 初代講師 合掌、ありがとうございます。
この度は、布教功労賞という身に余る光栄に只々感謝の気持ちでいっぱいでございます。
これも偏に各務洋行・教化部長をはじめ、歴代の教化部長、諸先生方、地元の皆様のご愛念の賜物と心より感謝申し上げます。
私が生長の家にふれさせて頂いたのは、50年前になります。結婚し長女を授かり1年位してノイローゼになり、主人と主人の姉も練成会に参加した事があり、私も宇治の10日間練成会を2回続けて受け、生命の實相のとりこになり、朝晩聖経『甘露の法雨』を誦げ続けました。すぐに家族を聖使命につなげ、普及誌の百部一括を始め、娘を自転車にのせてポスト愛行をしておりました。
またお友達と会館を借りて母親教室を開催し、栄える会にも入会しておりました。
お店をしておりましたので、しばらくして新築が与えられ、借家でしたので、娘達は大喜びでした。お店もどんどん繁栄しておりましたが、主人が脳内出血で意識不明の重態となり、手術を受けました。この時ふと先祖供養が大切と思い永代供養を10柱と親族の方達全員を聖使命につなげさせて頂き、とても心が落ち着きました。命は助かっても植物人間になるかもと言われていたのですが、2ヶ月で杖なしで退院し、元気に働けるようになり、また自分の店も買う事が出来ました。この間家で母親教室を開催しておりました。
生長の家に入会してから、講習会のある時は、100人位に声かけをし、毎回沢山の方が参加してくださり、「とてもありがたいお話だったよ」と言ってくださる方に普及誌を送るようになり、今50人位に郵送しています。その中で自分で購読者になってくださる方も沢山あり、有難いことです。聖使命も今までお世話になった方達130人位になっております。
また『ひかりの言葉』も毎年100冊購入し、友人知人に渡しております。神社にも毎月15冊くらい置かせて頂き、いつも全てなくなっています。入会とまではいかないのですが、毎月楽しみに読んでくださる方があると思うととても嬉しいです。
主人は脳内出血で倒れてから20年間お店を繁栄させてくださり旅立ちましたが、今もずっと霊界から見守ってくれています。主人亡き後、隣に木造建築の2階建ての新スタジオを建て、電気は全て自然エネルギーに屋根には太陽光発電をつけ、電球は全てLEDに、またSDGsにも入り、子供食堂にもお米を寄付させて頂いております。
おかげさまで生長の家の教えをそのまま素直に生活に、実践してきただけですが、不思議な事が次々と起こり、お店がどんどんと繁栄して参りました。支部長、地区連会長、地方講師を拝命して、皆様に生長の家の教えの素晴らしさを伝えて参りました。沢山の方々に支えられて今の私達とお店があります。この50年間、日時計主義の生き方と「真・善・美」の世界を行じて参りました。この感謝の気持ちを伝えるために出来る限りのご恩返しをさせて頂きたいと思っております。ありがとうございます。
再拝
立教95年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(4人目)
布教功労賞
湊 裕史講師 合掌、ありがとうございます。
この度は布教功労賞という、私にとって分不相応な褒章を頂き身の引き締まる思いがいたしております。
私が「生長の家」に触れましたのは、古い建物の和泉道場で壮年誌友会があり、誘われて参加した時のことです。そこで初めて生長の家の講話を聴きました。その時の出講講師は林部講師会長でした。私は雷に打たれたように感動しました。今までの自分の考えや生き方と全く違うお話でした。終始涙が止まりませんでした。ハンカチがぼとぼとになるほど泣きました。
ご講話の中で特に印象に残ったのは「もし今日一日を自分のためだけに生きたというんでしたら、そんな一日は生きているとは言えないんですよ。我が内なる神に、今日はどれだけ他人のお役に立てただろうか、誰かの幸せのための時間を持てただろうかと問いかけながら愛を出し切って生きるとき、はじめて生きていると言えるんですよ」と言われました。凄い教えだなと思いました。心の底から感動しました。それから『生命の實相』をはじめ聖典を読み始めました。どこを読んでも感動、感動でした。
つくづく感じるのですが、この生長の家に入信させていただき、どれほど幸せにならせていただいたことか。妻とは毎日「ありがたいなあ…」と言いながら生きています。
7年前でしたか元旦に目が覚めまして「神様これほどまで幸せにしていただき心から感謝いたしております、どうぞ今年一年御心のままにもっと人類光明化運動に私をお使いください」と合掌していました。
翌日家族そろって宇治へ初詣に行きまして、書き初めのおみくじを引きましたら「挺身」でした。これだと思いました。そこに「無我」を付け加えて「無我挺身」を座右の銘としてこれから生きていこうと心に決めました。するとしばらくして和泉道場の前総務の鈴木武さんから「総務を代わってくれ」とお話がありました。その当時は地域の色々なお役をさせて頂いておりましたので、お断りをしていたのですが再三のお誘いがあり、また神様から「半分手伝ってやれ」とのお告げがありまして総務の補佐として和泉道場に奉職させていただきました。今は鈴木さんの後を継いで総務をさせていただいております。
道場の業務は「無我挺身」を実践するのに適しているんですが、中々自身「無我」にはなり切れておりません。しかしそれを目標にして、生長の家の信徒として誇りをもって、この最高の真理をもっと深く学ばせていただき、人々にそれをお伝えしていこうと思っております。どうぞ皆様、これからもご指導ご鞭撻いただきますようお願い致します。
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立教95年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(3人目)
西日本光輪賞
西野 三喜子講師 合掌、ありがとうございます。
この度、西日本光輪賞受賞という身に余る光栄に只々感謝の気持ちでいっぱいでございます。
これも偏に各務洋行・教化部長をはじめ、房本喜久美・白鳩会連合会長、そして歴代の教化部長、各組織長の先生方、和泉道場の先達の先生方、常に私を支えて下さった地元の皆様方、そして生長の家に導いてくれた両親に心より感謝申し上げます。
私の家に生長の家のみ教えが伝わりましたのは父が若い頃、肺結核を患って3年間床についていた時、友人が聖経『甘露の法雨』と生長の家月刊誌を持ってきてくれた時です。生長の家誌に『生命の實相』の宣伝があり、父は全巻注文して一所懸命拝読している内に真理の素晴らしさに感動、病床から起ち上がることが出来ました。
母もまた親戚の方から生長の家を伝えられていて、結婚した時、お互いが生長の家を知っている事が分かり、この素晴らしい真理を1人でも多くの方にお伝えしたいと思い、自宅で誌友会を開くようになりました。この誌友会はコロナ禍になる迄、60年以上開催させて頂きました。
私は4人姉妹の長女として生まれ、子供の頃より誌友会に参加して、お話を聴かせて頂いておりましたが、夜の開催ですので眠かったのを覚えております。また神童会も開いており、青年会の方々が来て下さり、お祈りや紙芝居をしてくれました。その頃は家にテレビもない時代ですので、近所の子供達が大勢集まってくれて、喜んでくれました。この両親の種まきのお蔭でこの地域の皆様に生長の家をお伝えする事ができたのだと思います。そして私は両親の深い祈りにより、すばらしい魂の半身と結婚させていただき、彼は婿養子として西野の家に入ってくれました。
夫は全く生長の家を知らなかったのですが、生活の中に真理を生きている両親の姿を通して「この教えは素晴らしい、間違いない」と思ってくれたようです。私が白鳩会の対策部長や副会長を拝命させて頂き、12年間、跡見晶子、村上龍子、両白鳩会連合会長のご指導のもと、勉強させて頂けましたのも、陰ながら応援してくれた主人や地元の皆様の協力があったからと感謝しております。また、母親教室も30年以上開催させて頂きましたが、そこで学んで下さった方々が今活躍しておられる事が何より嬉しい事です。
この西日本光輪賞は父も平成18年に受賞させて頂きましたが、今回は私が母に代わって拝受させて頂いたのだと思っております。両親も喜んでくれていると思います。これからも両親のように愛を出して多くの皆様が足を運んで下さる地域の光の拠点とならせて頂けるよう活動を続けてまいります。
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立教95年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(2人目)
二重光輪賞
菅原 宜子講師 合掌、ありがとうございます。
3月1日、「立教95年生長の家春季記念日」におきまして、栄えある賞を拝受させて頂き、心より感謝申し上げます。
これも偏に各務洋行・教化部長をはじめ、七者の先生方そして入信以来至らぬ私をご指導下さいました歴代の教化部長、諸先輩の先生方また、地元の皆様のご愛念の賜物と心より感謝御礼申し上げます。
勿体なくも今年は教区を代表して、受賞者2名と引率者2名の計4名が参加させて頂きました。前日29日の夕方から降り始めた雪は明朝4時半には止み、辺り一面真っ白な雪景色となり、太陽も照り輝き暖かな1日となりました。バスが玄関まで乗り着けられるようにと、本部の職員の皆様が早朝より除雪して下さり、有難く感動致しました。
本部に着きますと職員の方々が手厚く歓迎下さり、大阪出身の河野知足さん、松山健治さん、大塚裕司さん、中M真之さん、河野天音さんに迎えられ感動の再会でした。大阪の席は中央で、総裁先生の真正面でお言葉を頂戴致しました。帰りは、山岡睦治先生始め多勢の職員の方々に見送られ、本部を後に致しました。誠に有難い、神様に祝福された2日間でございました。
思い起こせば中1の時、心臓弁膜症となり運動は一切ダメ、高3の卒業前、抗生物質の薬害で40日間入院し受験を断念、最終的に30過ぎに椎間板ヘルニアで万年床となり自分の人生に希望も生きる価値もないと煩悶。
結婚の時母から貰った1冊の白鳩誌と聖経『甘露の法雨』のお守りを思い出し、「大調和の神示」に答えが書かれてあり、宇治の練成会に飛び込み、病から救われ、正しい人間観、人生観が解り、生きる喜びがわき、神様のお役に立たせて頂きたいと母親教室のリーダーとなり、教化部に通うようになりました。
上田千代乃先生のお声がかかり、幹部の末席に加えさせて頂き私の喜びの活動が始まりました。交野は1支部しかなかったので、仲間と誌友さん宅を訪問し、先祖供養の大切さをお伝えし、会員を増やし総連を立ち上げることができました。
白鳩会では上田千代乃先生、跡見晶子先生、村上龍子先生の時、副会長を2期ずつ18年、講師会では横木辰雄先生の時2期6年、事務担当を拝命させて頂きそして講師会長を2期務めさせて頂きました。上田先生より「第一のものを第一とし報恩感謝で出講し教えを伝える事」跡見先生からは「中心を見失わない事」等大切な事をご指導頂きました。これからも“神・自然・人間の大調和”の倫理観に基づいた生き方を伝え、社会貢献しつつ新しい文明の構築に邁進して参ります。
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立教95年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(1人目)
二重光輪賞
壮年層・後継者育成優秀賞
原田 静子講師 合掌、ありがとうございます。
この度、国際本部におきまして、「立教95年生長の家春季記念日、生長の家総裁法燈継承記念式典」において、二重光輪賞と予期せぬ壮年層後継者育成優秀賞という栄えある賞を拝受させて頂きました事は、本当に身にあまる光栄と心より感謝申し上げます。
これも偏に各務洋行・教化部長をはじめ、房本喜久美・白鳩会連合会長、そして歴代の教化部長、各組織長の先生方、阿倍野道場の先達の先生方、地元の同志の皆様方のご支援・ご愛念の賜物と心より感謝申し上げます。
私が生長の家に触れたのは昭和48年、当時3歳だった長女が体に大火傷を負ったのがきっかけでした。この時、郷里の香川県に住む伯母が昭和34年頃、み教えに触れて末期に近い子宮癌が全快、その後地域の人のお世話に励んでいた姿を思い出し、私も「み教えを学びたい」と生長の家を探し回ったのです。
半年後の9月27日、大調和の神示が天下った日に河内長野に転居すると、すぐにポストに「白鳩」が愛行され、近所に2人の熱心な信徒さんとの出会いがあり、3人で誌友会を開き教えを学ぶようになりました。伝道愛行を続ける事で新しい会員も増え地区も分けつでき、おかげ様で長女も明るく元気に育ち、結婚して東京第2教区で青年会員となりました。
そして各務先生が東京第2教区の教化部長に赴任されました時、青年会事務局で働かせて頂いていて、親子でご指導頂きありがたく感謝致します。ありがとうございます。
平成6年に講師を拝命、その2年後とても愛深く多くの方から尊敬されていた先生が、61歳で亡くなられ先生の御恩に報いたいと総連会長を、そして平成20年から定年までの6年間副会長を拝命し村上龍子、大朝節子・両元白鳩会連合会長のご指導のもと幹部会員の皆様、そして何時も陰ながら支えてくれました主人や地元の皆様のご協力を頂きながら2期務めさせて頂きました。
去る、3月1日森の中のオフィス・イベントホールでリハーサル終了後、式典開始を待っていた時、森田美穂・白鳩会長が私の席までお越し下さり、「多数の壮年層の方を育てて下さってありがとうございました」と涙ぐまれ握手して下さいましたが、身のひきしまる思いでした。壮年層後継者育成が最も重要な課題であると改めて思い、これからも努力し続けたいと思っています。
私は地元の先輩講師に勧められ、昭和59年からほぼ毎日産土神社に参拝して、「白鳩会の発展」を祈っていましたが、地区でもだんだん高齢化し、「若い壮年層の方々との出会いがありますように」と祈りながらお掃除もさせて頂くようになりました。
2ヶ月後に、私が白鳩をポスト愛行していた神社近くに住む、当時33歳の瀧本さんとの出会いがありました。瀧本さんは、「長男が3歳で長女がお腹にいて、どこにも行けず、主人は仕事で帰りが遅くて夕方になると悲しくて泣いていました。そんな時ポストに「白鳩」誌が入っていて、こんなに明るく楽しい生き方があると感動して、夢中で教化部に電話をかけました」と機関誌の取材で話されていました。
どこかで普及誌を待っている方がいらっしゃいます。その後彼女を中心に壮年層会員さんが次々入会され機関誌に掲載されました。氏神さまのパワー、御護りを強く感じて皆さん氏子になり、伝道には地元の氏神様に参拝して伝道に励みました。宮司さんともご縁ができ、生命学園を応援して下さって11年間正式参拝させて頂いています。
現在は皆さんお仕事をされていますが、月1度は交流を持ちたいと来られてますので、心に寄り添えるように耳を傾けています。
み教えのおかげで大勢の方が救われ、幹部として活躍下さっています奥野禎子・白鳩会副会長を始め総連会長・地区連会長・支部長さん、地元の皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。今後も後継者育成に邁進してまいります。
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立教94年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(6人目)
布教功労賞
高畑 惠子講師 合掌、ありがとうございます。
この度は、生長の家立教94年の記念すべき年に、栄ある賞を拝受し感謝申し上げます。
これも、偏に前教化部長・久利修先生を初め房本喜久美・白鳩会連合会長、七者の先生方、入信以来至らぬ私をご指導下さいました諸先生方、長きに渡り地元のお役を頂きご協力、ご支援を頂きました皆様に心より感謝申し上げます。
私が生長の家にふれたのは、結婚し3児に恵まれ、次男が幼稚園児のとき幼稚園でお多福風邪をもらってきたときでした。
その頃主人は出張が多く私を入れ4人がお多福風邪を発症しました。その後子供は全快しましたが、私は突発性難聴、目眩フラつきで歩くことも出来ず1年病床についてしまい、更に子供の不憫を思うと苦しくて重いうつ病にかかり、藁にもすがる想いで義母に助けを求め電話をしました。
老いて子沢山だった義母は私の話しを優しく聞いてくれ、最後に「人間はなぁ、信仰が大切やで。生きるには神様」と云う、義母の言葉に魂が揺さぶられ電話を切ると、目の前の白鳩誌が目に留まりました。
その白鳩誌は子供のお習字の先生、故・田中典子先生が毎月子供に持たせて下さっていました。すぐ電話しましたら、個人指導に連れて行って下さいました。それは厳しい指導でしたが、我の強い私には最良でした。神の子の自覚、父母に感謝、主人に「ハイ」、先祖流産児供養等を丁寧に教わり、聖使命会、霊宮聖使命会に入会し、21日間の供養、聖経『甘露の法雨』を誦げる度に滂沱の涙で浄められました。
行により父母への感謝が湧いて参りますと父母にも伝わり、私が変わったと喜んでくれました。全国大会に参加し靖国神社に参拝、傷痍軍人であった父が生きていてくれたからこそ、今の私があると改めて感謝、田舎の京丹後校区のお役所で英霊様の名簿を頂き、霊牌供養を続け40程になります。今は亡き父が何よりも嬉しいと笑顔で喜んでくれたのを思い出します。今、ウクライナとロシアの若き兵士を見て、霊牌供養の度に心が痛みます。
各務教化部長先生に聖歌は神想観「真理の言葉、神の奏楽」と、お教え頂きました。入信間もない頃聖歌隊に入部し、その時のご指導は跡見晶子・元連合会長で歌詞の真理を説いて頂き、また対策部長に菅原宣子・元講師会長、100名の聖歌隊員の下座の行の後ろ姿に感動しました。
支部長会議で今は亡き吉倉修三・元教化部長先生が「仏壇の前でお経を読む事も大切だが愛と報恩忘れずに人類光明化運動する事はご先祖様流産児が喜んで下さり供養になる」とご指導して下さり純粋に拝が出来ました。私もお役を頂き、平成2年より地区連会長8期、総連会長7期、平成2年に講師も拝命しました。
「使命を生きる祈り」と共に、『新版 菩薩は何を為すべきか』を熟読、氏神様の大切を知り、高槻59社皆様のご協力と喜び共に清掃、聖経読誦、伝道時には草花を愛で、毎月参拝し6年間で全ての運動が拡大となりました。大朝節子・元連合会長より副会長を拝命し、樋上和子・前連合会長より2期目を拝命しました。普及誌購読者担当となり神への祈りに徹し、良き対策部員に恵まれ、皆様のお陰で大阪教区で良き結果を頂きました。
理解と協力をしてくれた主人に感謝し、この時代に応現し倫理的な生き方を心がけ世界平和を祈りコツコツと明るく未来の子供達のために実践伝道して参ります。
再拝
立教94年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(5人目)
布教功労賞
荒木 和子講師 合掌、ありがとうございます。
この度はとても嬉しいありがたい「布教功労賞」を拝受させて頂き、心より感謝申し上げます。
振り返りますと昭和53年位に私は町内会の自治会の役をさせて頂いておりました。
その時に一緒に自治会の会計役の女性がおりまして、その女性は芝崎善子さんです。その芝崎さんが生長の家の信仰者でした。
芝崎さんがある日、荒木さん、生長の家の良いお話があるから一緒に行きましょうと言われました。その家が生長の家の信仰者の故西尾澪先生のお宅でした。
伺ってみると母親教室で30人位の信徒さんが集まっておりました。私はその時初めて生長の家という信仰があることを知りました。その当時、私には5歳の子供がおりました。それから何回か母親教室がありましたが、西尾先生はご主人のお仕事で東京にご出張になり会合は中断しておりました。
その後、西尾先生がお留守の間、芝崎さんが誌友会を開いてくれておりました。その当時私はタイプの仕事をしておりまして時間のある時は伺った事を覚えております。そして西尾先生が3年後くらいに帰阪され、私に電話がありまして、また誌友会があるから来て下さいとの電話でした。その当時私は柏原地区連会長でした。そして、総連の所属は堺泉第六総連でした。当時の上田千代乃・元白鳩会連合会長が私に堺泉第六総連会長をやって下さいと仰いました。私は素直に「ハイ」と答え2期6年させて頂きました。
その後、行事があるごとに堺まで行くことが遠いこともあり、西尾澪先生と相談の上、平成21年に現在の八尾山本総連さんに所属を移して現在に至っております。八尾山本総連にお世話になってからも二期総連会長をさせて頂き、宇治対策部、総本山対策部、伝道対策部、練成対策部、もう1回練成対策部という各対策部長をさせて頂きまして、有意義なお役を体験させて頂いて唯々感謝のみでございます。
ここで練成対策部時代の体験をお話しさせて頂きます。森田征史・元教化部長のお話です。森田先生はカレーがお好きで、「私にカレーを作ってくれないか?」と仰いました。私は先生「甘口がお好きですか、辛口がお好きですか」と尋ねますと「僕は甘口が好きだ」と仰いました。食後に私は「お味は如何でしたか」と尋ねました所、「美味しかった」と一言。奉仕員の皆様にお伝えしました所、皆拍手して喜んでくれました。今となっては良き思い出として私の心に残っております。ありがとうございます。
最後になりますが、これからも生命ある限り、教化部長・各務洋行先生ならびに房本喜久美・白鳩会連合会長に中心帰一して、信徒の皆々様と明るく楽しく喜びを持って真理の研鑽に努力させて頂きます。
感謝再拝
立教94年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(4人目)
西日本光輪賞
佐竹 ひろみ講師 合掌、ありがとうございます。
この度、栄えある賞を拝受させて頂き心より感謝申し上げます。
これも教化部長先生、房本喜久美・白鳩会連合会長をはじめ歴代の諸先生方のお蔭と重ね重ね感謝申し上げます。
振り返ってみますと、私がこの世に生を受けた時には、既に家には、「生長の家」が伝わり、もの心ついた時には、我が家で神童会(現在の生命学園)をしておりました。それで、小学生からずうっと青少年練成会に参加しました。別に特に行きたいとも嫌だとも思わず、ただ空気のように、教えがありました。
青年会時代は団塊の世代で、就職したキリスト教系の学校も教員の中で、革マル派の活動家がいましたが、実はその職場で夫と出会いました。奇しくも夫の家も「生長の家」の信徒でした。姑はその当時、美章園の相愛会長をしておりました。それで結婚してからも「生長の家」の運動をするのも反対されず、逆に私が少しでも熱を出すと、夫に「僕に感謝してなかったのとちゃうか?」と冷やかされるような有り様でした。
男子3人が誕生し、育児に一段落着いた時に、当時の跡見晶子・元連合会長より、青少年育成対策部長を任命して頂きました。
その時は組織も何も分からなかったのですが、母に報告すると、いきなり涙をこぼして、お仏壇に手を合わせて、喜んでくれたのを昨日のことのように思い出します。その時から、対策部長4期・副会長5期させて頂きました。その間色々な体験をさせて頂きました。
中でも平成20年の講習会のことです。当時私は、今の第六大総連を担当させて頂いていました。その年の大総連目標が1,224名でした。それが、成果がなんとピッタリ1,224名だったのです。でも中々スムーズには行かず、最初の集計はピッタリでしたが、他の大総連の受講券が間違って入っていたり、ドキドキしながらの集計作業で、1枚減り2枚減り、だんだん絶望感が襲ってきましたが、最後他の大総連に第六大総連の券が混ざっていて、結局最終的には、1,224枚ピッタリになりました。
あの時の嬉しかったこと…思わず、涙が溢れてわあわあと泣きました。
又、平成14年に次男の突然の死という出来事がありましたが、当時の中井亮太朗・前青年会委員長をはじめ、青年会のお仲間のお蔭で、次男は有意義な26歳7ヶ月という生涯を全うさせて頂きました。
この時ほど、「信仰なかりせば…」という思いを強くしたことはなかったです。すごい宝物を産まれた時から授けられていたことに、やっと気が付きました。これからもしっかりと生長の家の教えを実践し、「神・自然・人間の大調和」を目指すエシカルな生き方をお伝えしていくことをここにお誓い申し上げます。
再拝
立教94年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(3人目)
西日本光輪賞
西本 和子講師 合掌、ありがとうございます。
この度は「立教94年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」におきまして、西日本光輪賞を拝受させて頂きました事は、身に余る思いでいっぱいでございます。
これも偏に、久利修・前教化部長はじめ、房本喜久美・白鳩会連合会長、七者の先生方、諸先生方のご指導ご愛念と地元の方々はじめ、ご縁ある方々のご支援、ご協力の賜物と心より感謝申し上げます。
私は母が生長の家に入信(昭和37年頃)させて頂いたので、自然に生長の家の本を読むようになり、大聖師・谷口雅春先生が私と同じ市岡高等学校(旧市岡中学校)の出身校と知り嬉しく諸行事、講習会等にも参加するようになったのです。
結婚後は母親教室にも参加し自宅でも母親教室を開くようになり、神様事に「ハイ」することの大切さがわかるようになったころ、松原地区連から「総連」になることになり、何もわからない私が総連会長をすることになったのです。
それから間もない頃、村上龍子・元白鳩会連合会長から、「明日の幹部会に担当副会長さんが出席できないので代理で参加お願いします」とお電話があり、参加させて頂きました。それから1年余り後、副会長を拝命し停年迄の9年間つとめさせて頂きました。
担当させて頂いた各大総連の皆様が、協力的に目標に向かってがんばって下さった事の1つに、幹部会で普及誌の目標をすることになり、どの位の目標にすればと迷っていると、「上から言われる事は出来ることや」と霊示が聞こえた瞬間、会長先生が「第八大総連さん500冊できますか」と仰ったので「ハイ」と答えている私があり、後から出来るか心配になりましたが、その当日から貴重な1冊から100冊して下さった方などの多くの方々のご愛念により、目標以上の700冊となり「ハイ(拝)」すれば宇宙が動く。
その通りになったのは生長の家の大神様、ご先祖様も、もちろん皆様が動いて下さったおかげだと、今でも思い出しうれしく感謝しています。
また、このたびの受賞で多くの方々の愛を感じさせて頂きました。各務洋行・教化部長が新天地に新版『真理』の中のご文章「報恩と感謝行とは、忘報と云う“魂の病気”を治す特効薬である。」とお書きくださっていますのを読ませて頂いて、改めて、この言葉を忘れず「自然と共に伸びる光明化運動」が少しでもできますよう精進、努力してまいります。
感謝合掌
立教94年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(2人目)
二重光輪賞
村上 龍子講師 合掌、ありがとうございます。
この度は「立教94年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」に於きまして、栄えある二重光輪賞の栄誉に浴し、身に余る光栄を謹んでお受けさせて頂きました。
これも偏に生長の家参議・久利修前大阪教区教化部長始め、各組織長の先生方、諸先輩の皆様、信徒誌友の皆様のご指導ご鞭撻の賜物と心より感謝御礼申し上げます。
生長の家の御教えは母から伝えられました。母は戦後の混乱期に腹膜炎で瀕死の病から救われ、「神様に救われた御恩は生涯忘れてはならない」と、求道と伝道に励み、西日本光輪賞を拝受して、95歳の天寿を全うしました。そして信仰の燈火は、私から娘に伝わり、今、娘は福井教区で白鳩会事務局長を拝命し、「会員の皆様をお母さんと思い、大切に真心を尽くします」と言ってくれます。
30歳の時、谷口輝子先生著『女性の書』に感動し、「何がなくても魂の喜ぶ道を歩もう」と、我が家で母親教室を開設し、その後早朝神想観の集いを開設して、普及誌の伝道に励みながら、PTA活動、趣味の会の友人などへ、参加を呼びかけました。子育てに悩む若いお母さんたちには、砂漠の中のオアシスの如く、癒しと安らぎを与えてくれました。
毎月お話を聞いている内に、ほっぺたにあった大きな紫色のシミが消えた人、生後1ヶ月の赤ちゃんの全身アトピーが癒された人、末期癌が消えた人等、数々の体験が生まれ、総連が結成されました。
36歳の時、教区副会長を拝命し、54歳の時、大阪教区の連合会長を拝命させて頂きました。
無我夢中で全身全霊を捧げた悦びの菩薩道は、魂が躍動する信仰深化の旅路でもありました。お蔭様で大阪教区は九年間連続して数々の本部褒賞を頂きました。これも一朝一夕に出来るものではなく、諸先輩の長年に亙る真摯な信仰と今の時代を生きる人たちの、打てば響く組織力の積み重ねが華開いた宝物だと思います。
私たちは、生長の家の真理を学び、愛他行を実践する内に、偉大なる神は、今此処に、吾が内にある事に目覚めさせて頂きました。現象に囚われることなく、全人類が手を携えて、神と自然と人間の大調和が世界の常識になるまで、「人間神の子無限力」の真理を広めて参りましょう。これからも、素晴らしい各務洋行・教化部長のご指導の下に、三正行を励行し、目の前にいる人を神様と思い、尊き使命を明るく楽しく生きて参ります。
私たちの光明化運動を共に悦び、共に支えて下さいました同志の皆様、寛大なる愛で包んで下さいました、全会員のご主人様、ご家族の皆様に満腔の感謝を捧げ、謝辞とさせて頂きます。誠に誠にありがとうございました。
感謝合掌
大阪教区褒賞授与式が開催されました!
令和5年3月11日(土)、大阪教化部3階大拝殿にて、「大阪教区褒賞授与式」が執り行われ、本部褒賞はじめ、各組織褒賞、感謝状、それぞれ栄えある賞が授与されました。
誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
また、本部褒賞を受賞された6名の先生方から謝辞を頂き、改めまして、大阪教区の幹部・信徒・誌友の皆様の素晴らしさを通して、久遠生き通しの神の子の生命をより輝かせて、“自然と共に伸びる運動”を更に進展させて、“新しい文明”の構築と教勢の発展を誓願致しました。
立教94年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(1人目)
二重光輪賞
中井 恒夫講師 合掌、ありがとうございます。
この度は「立教94年生長の家春季記念日、生長の家総裁法燈継承記念式典」におきまして、生長の家総裁・谷口雅宣先生より二重光輪賞という栄えある賞を拝受させて戴き身に余る光栄に浴し心より厚く感謝お礼を申し上げます。
此れも偏に教化部長・久利修先生はじめ各組織長の先生方のご愛念の賜であると感謝しております。
昭和14年に母が旧布施市の転居先で隣家の奥様に素晴らしいお話を聴かせて戴き生長の家と出会いました。それ以来母は2回の転居先で誌友会場を用意し、この御教えを広めるお世話をして参りました。
父は善い教えだからと昭和29年落慶の本部会館建設の献資にも賛成し、会館落慶記念東上会に母と一緒に参加しました。
その後聖使命会が発足、家族皆が会員となりました。
私は小学生の頃に上六の教化部での神童会に姉に連れられて参加していました。その頃青年会の吉倉修三先生と出会い姉共々可愛がって戴きました。 昭和37年に現在の八尾市高安に転居、後に故吉倉修三先生弘子先生ご夫妻が山本の地に越して来られて以来有りがたくも家族ぐるみのお付き合いをさせて頂きました。
私自身は父母が参加する誌友会に偶に顔を出す程度でしたが、昭和52年3月に開催の第1回相愛会男子全国大会に吉倉先生に誘われ参加し、対策部員として動き始めました。 第12回、13回と2年続けて武道館での全国大会の司会を務めさせて戴いた事は大きな喜びでした。
何事も順調に進んでいるのは「ご両親ご先祖様の徳を戴いているお蔭だから徳を切らさないように徳積みをしなさい」とご指導戴き、弘子先生からは「対策部で動いている事で信仰していると思ったら大間違いですよ! 講師の試験を受けなさい」と指導され昭和61年に講師を拝命致しました。
その後息子の亮太朗がジュニア友の会、生高連に参加する様になり、私より純粋且つ真摯に御教えを学び青年会で活動をしました。多くの方々から「先生の息子さんは素晴らしいですね」と讃嘆して戴き大変嬉しく有り難い事だと思いました。
時が経ち練成会の昼食の時、前にお座りの若いお母さんが名札を見て「中井先生って委員長のお父さんですか?」と聞かれ、時代の流れを感じました。 故松山恭三連合会長から副会長拝命後15年間務めさせて戴き、定年前の最後に連合会長を受けさせて戴きました。和顔愛語讃嘆で楽しく行う相愛会活動を目指し副会長、対策部長、総連会長をはじめとした素晴らしい相愛会員の方々に恵まれ、大阪教区相愛会として本部総轄実行委員長からの受賞も有り、実のある3年間であったと感謝しております。
この度の受賞は今の私にまで育てて下さいました先輩の先生方、そして共に活動して下さった皆様のお蔭であると心より厚くお礼を申し上げます。
合掌再拝
立教94年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典 本部褒賞・組織褒賞を受賞!
2023年3月1日(水)午前10時から、生長の家国際本部に於いて、「立教94年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が行われ、それぞれ栄えある賞を頂きました。 誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
本部褒賞
◎二重光輪賞中井 恒夫 講師 / 村上 龍子 講師
◎西日本光輪賞西本 和子 講師 / 佐竹 ひろみ 講師
◎布教功労賞荒木 和子 講師 / 高畑 恵子 講師
組織褒賞
白鳩会 | “質の高い組織運動”企画賞大阪教区 |
相愛会 | 地域貢献活動優秀賞大阪教区 |
青年会 | 倫理的な実践活動優秀賞大阪教区 |
立教93年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(7人目)
壮年層・後継者
育成優秀賞
花光 義正講師 今回の褒賞受賞は教化部長・久利修先生をはじめ先達先生方のご指導の賜物です。
甚深の感謝を申し上げます。ありがとうございます。
平成28年4月に亡父の病いを機に『生命の實相』を読み始めて、宇治練成会に参加したことが入信の端緒となりました。さらにその年の12月に初めて大阪練成会に参加して、開会式で教化部長・久利修先生による「住吉大神宇宙浄化の祈り」で右足の痛風が忽然として雲散霧消したのです。
爾来、道元禅師のことばに「正師を得ざれば学ばざるに如かず」とありますように大阪練成会には毎回参加して、教化部長・久利修先生や練成主任の國領講師や多くの先生から生長の家のみ教えを皮肉骨髄まで叩き込んで頂きました。大阪練成会により私の信仰生活が首尾よく出発、信仰する大機縁となりました。
平成30年4月の大阪教区講習会で約2万人を前にして体験発表を行ったその日に相愛会連合会組織拡大対策部長を拝命して新規会員拡大をはかることになりました。
後藤講師や会員の皆さまのご尽力によりこれまで壮年層を含めて63名の会員拡大となりました。この拡大成果はただ吾ひとりでは何事もなしえず、栄光は神に帰する。神様の力、神様の智慧の賜物です。また相愛会の阿部事務局長と中村さんには懇切丁寧かつ多大なご支援を頂きました。衷心より感謝申し上げます。
伝道の前には神想観とりわけ祝福讃嘆の祈りを怠らず実修し、さらに先祖供養により霊界のご先祖さまの霊力が伝道推進の心強い起爆力となりました。新規会員が生長の家のみ教えと真理に触れて運命境遇が改善されて、幸せになることに手の舞足の踏むところ知らず、無上菩提に至るような喜びを感じます。この喜びは肉の喜びではなく霊の喜び即ち根源なる大生命が生命を生命たらしめる生命の喜びそのものです。よって伝道は苦行でなく、楽行・易行にて楽しい行です。真理研鑽と真理伝道は車の両輪と言われます。
とりわけ伝道愛行こそは信仰生活の醍醐味そのものです。伝道を通じてこそ真理は面目躍如・光輝燦然として、自ら輝かせることができるものと思います。ですから伝道愛行はやめられない、とまらない!! 嬉しい! 楽しい! あっはっはー! 今回の受賞を機に今一度、脚下照顧して初心に立ち返り喫茶・喫飯などあたりまえのことに感謝礼拝する。そして無碍の大道(『生命の實相』第36巻第3章)を歩み、感謝の極致として伝道に愛深く挺身します。
多くのひとに生長の家のみ教えをお伝えできるよう、教区教勢の発展に微力ながら寄与貢献できるよう、参究参学を深めて、驀直去伝道まっしぐら、神の子まっしぐらの信仰にて自受用三昧の世界に超入して参る所存であります。
稽首再拝
立教93年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(6人目)
布教功労賞
三井 善雄講師 合掌、ありがとうございます。
この度は、「立教93年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」において、布教功労賞という栄えある賞を拝受させて頂きましたことは、身に余る光栄でございます。
これも偏に教化部長・久利修先生を始め、歴代の教化部長先生・各組織の先生のご指導、ご愛念の賜物と心より感謝申し上げます。
昭和31年3月6日21歳の時に入信させて頂きました。守口の兄嫁が何時も行く風呂屋の前の文具店の黒板に良い事が書いてあると教えられ、そこへ行くと小谷千寿先生の生長の家でした。すぐに聖使命の什一会員に入会させて頂きました。週一の青年会・神童会に参加させて頂き、数多い誌友会にも参加させて頂き悦びの日々でした。
仕事は兄の店に16年勤務し、昭和41年1月に日本タクシー勤務、46年に個人タクシーの認可を受けました。お客様に神誌を手渡し愛行させて頂きました。神誌の裏表紙に此の御本が貴方様の光となりますようにと記し電話番号氏名を記しました。
吹田市江坂に有る江坂病院の院長先生を2度お乗せ致しました。1回目の時「言いたかったけどあの時は北新地で飲んでいたのでアルコールが身体にある時に生長の家をあーでもない、こーでもないとそんな失礼な事を言えないと思い、今日は大丈夫話を聞いて料金を半分にせないかんと思わんでも良いよ」と言われ世界に数限りないくらい宗教があるけれど、生長の家は世界一と言って下さいました。
運転手さん神想観をしているのか? と言われました、ハイと答えますとそれは素晴らしいと言われました。生長の家から神想観を取ると無きに等しいと言われました。
昭和60年2月8日、大阪西区新町の厚生年金会館で、生長の家栄える会全国大会が開催されました。打ち合わせの終わった後、大聖師・谷口清超先生が「大阪の車は神様の車」と仰いました。各組織の事務方で尋ねましたが知らないと言われ理事長の徳久克己先生にお聞きすると、「僕は知らないけど教化部長会議で吉倉さんが本部にいるから、聞いてごらんすぐにわかるよ」と言われ、吉倉修三先生にお聞きしますと、「三井さんの事や仲間に神さんの本を配っているから神さんと言われている、その事を清超先生にお話しした事を覚えておられたのでしょう」と言われました。
当日、清超先生を厚生年金会館プラットホームにお着けしますと徳久先生がつかつかと私の方に来られて貴方神さん? 今晩たのむよと言われ清超先生の後を追われました。
閉会後、清超先生をお送りした後、徳久先生をお乗せ致しますと、僕も神さんの車に乗れて嬉しいと仰いました。谷口清超先生は平成5年まで11年間、生長の家総裁・谷口雅宣先生は平成18年まで11年間、送迎のお役を頂き感謝の極みでございます。接する人に伝道することをお誓い申し上げまして終わらせて頂きます。
再拝
立教93年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(5人目)
布教功労賞
赤木 ヨシ子講師 合掌、ありがとうございます。
この度は、「立教93年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」において、布教功労賞という栄えある賞を拝受させて頂きましたことは身に余る光栄でございます。心より感謝申し上げます。
これも偏に、教化部長・久利修先生はじめ、白鳩会連合会長・房本喜久美先生、五者の先生方、又この56年間に亘って御指導下さいました諸先輩の先生方をはじめ、全ての皆さまに心より感謝申し上げます。
私は20代で我が子、息子と離別するという悲しい体験を致しました。その時、母が生長の家に連れて行ってくれました。人間は神の子であり、清く美しい神の生命が本当の自分の生命であることを知り救われました。一度自分は死んで生まれ変わったのだと、何回も何回も自分に言い聞かせました。その後親の勧めで、今の主人と結婚し、救われた思いでした。離別した子どもの無事を祈るために、夫婦でお滝の行や観音様参りを続けたこともありますが、毎年5月の連休は宇治の練成会に参加しました。家族として聖使命会員に繋いでいましたその息子は、20年後、私を訪ねて来てくれました。詫びる私に息子は「僕が2人を選んで生まれたのだから」と言ってくれました。そして台湾の女性と結婚し、幸せに暮らさせて頂いています。
生長の家で救われた私ですから、限りない感謝の気持ちで与えられるお役を受けさせて頂きました。総連会長を一期させて頂き、69歳から定年まで、担当副会長を勤めさせて頂きました。元白鳩会連合会長・村上龍子先生のもとで御指導頂いた3年間は、私の人生にとって最も充実した日々でした。その頃あわじ生命学園が開園致しまして孫3人を連れて行きました。
お蔭さまでその孫もご先祖様に手を合わせる立派な青年になりました。生長の家の素晴らしさを知ってほしいと、主人と娘と孫も生長の家総本山の団体参拝練成会に参加してもらいました。我が家で誌友会をするようになって四十数年になりますが、手作りのノーミート料理で皆さまと毎月楽しい時間を持つ事が出来、喜んで頂きました。今は居ながらにして、ネットを通して生長の家総裁・谷口雅宣先生、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生の素晴らしい動画を拝聴させて頂き、ノーミート料理のお弁当や色々のレシピのお知恵を頂き、とても有難く感謝しています。
先日、普及誌と日時計日記を送っている鹿児島の同級生に、動画を送りました。視聴して下さったので、ネットフォーラムにも参加してもらいました。悩んでいた問題があったのですが、2回目のネットフォーラム参加後に良い方向に問題が解決しました。これからも研修版を送り、広めて参ります。
私はSNIオーガニック菜園部に入り、家の周りに野菜を植え、その成長ぶりに感動しながら投稿をしております。神様の御心のまま全ての共存と繁栄を望み、これからも「神・自然・人間の大調和」に向かって1人でも多くの人に、「人間神の子」の真理を伝え続けて参ります。ありがとうございます。
再拝
立教93年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(4人目)
西日本光輪賞
中村 綾子講師 合掌、ありがとうございます。
この度、「立教93年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」において、西日本光輪賞という栄えある賞を拝受させて頂きました事は身に余る光栄でございます。
これも偏に、教化部長・久利修先生はじめ、各組織の先生方・諸先輩・信徒誌友のみなさまのご指導御愛念の賜物と心より感謝申し上げます。
我が家に「生長の家」を伝えて頂きましたのは、戦後しばらくして産まれた私の病気と不如意な生活に苦しんでいる時、近所に住む講師の先生が熱心に愛情をもってお伝え頂いたお陰と聞いております。
私が「生長の家」って素晴らしい! と子供心に感じましたのは昭和27年か28年頃、中之島中央公会堂での大聖師・谷口雅春先生の御講習会に両親に連れられて初めて参加した時でした。
会場に入ると私は託児に預けられました。優しそうなお兄さんお姉さんがいて紙芝居やゲームなどで遊んで頂きました。午後も楽しい時間をすごしておりましたら、わぁ〜というどよめきと歓声や拍手が聞こえてきました。
随分して、満面笑顔の両親が私をむかえにきてくれました。成長して分かったことですが、あの頃の我が家は暗い生活を送っていたようです。その父母がなんとも言えない幸せそうな笑顔で私を迎えに来てくれた時、講習会の何たるもわからなくても、素直な気持ちで「素敵なことが起こった!」と確信しました。それが私の「生長の家」との出会いです。
その後も講習会に参加しましたが母の話によりますと、会場はいつも立錐の余地なく満員で、ある年、壇上の演壇近くに座らせて頂き大聖師・谷口雅春先生を仰ぎ見て受講する光栄を頂いたそうです。私は講習会と言えば託児室に行くことが楽しみでした!
その後、両親の2人3脚での求道と伝道が始まり、私は神童会・小中高の練成会に参加し、青年会活動。結婚し、その後白鳩会活動をさせて頂き、平成25年より定年までの2期副会長を拝命。その時々の連合会長のご指導のもと幹部・会員の皆様と共に、運動に喜び・悩み・全エネルギーを注いでこれたことは最高の喜びでした。
今年(2022年)より和歌山県海南市で田舎暮らしをしています。裏山の整備や、畑で夏野菜を作っていますと、自分の物など何もなく全て「神さまからのいただきもの」と実感しています。「生長の家総裁・谷口雅宣先生」は25年も前から地球温暖化・異常気象に警鐘をならされ「すべては神において一体!」であり、信仰者として生きよう! とご教示頂いております。
ウクライナに一刻も早く平和がおとずれるようにと願いヒマワリを植え、聖歌「地球の人よ」を歌いながら畑を耕しています。日々の生活の中で祈り感謝し力いっぱい喜んで生き、多くの方に愛を与える生き方を実践してまいります。今後ともご指導よろしくお願い申し上げます。
再拝
立教93年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(3人目)
西日本光輪賞
下山 美枝子講師 合掌、ありがとうございます。
この度は、「立教93年生長の家春季記念日、生長の家総裁法燈継承記念式典」において、西日本光輪賞という栄えある賞を拝受させて頂きましたことは、身に余る光栄でございます。
これも偏に教化部長・久利修先生はじめ、各組織の先生方、諸先輩の先生方、信徒誌友の皆様の、ご指導ご愛念の賜物と心より感謝申し上げます。
私は自分が38歳の時、鬱病で苦しんでいた時に、頂いた1冊の白鳩誌によって救われました。
その前には、10年以上という長きに亘る、尊き人の愛念の贈呈を頂きながら見向きもしなかった私でございました。すでに種を蒔いて頂いた人のお陰で、このありがたき最高の生長の家にご縁を頂きました。
こうして生長の家に触れ、『生命の実相』10巻迄を読んだ時、病なしの真理が理解でき、忽然と鬱病が消えました。八尾市の地元に吉倉先生御夫妻がおられたことも幸運でした。吉倉先生には、数々の御指導を受け、地区の皆様と楽しい光明化運動に燃えておりました時、主人が突然会社設立と言う事態となり、又3年目には、その主人が病に倒れ、収入の道が途絶え、私は証券会社で働くことになりました。すでに講師を拝命しておりましたのに、聖使命会費も払えぬ状態になり、これだけは何としても収めなければと、昼も夜も働いておりました。
吉倉弘子先生より徳切れであることを教えられ、房舎施を薦められ、精神的経済的にどん底の時に、自宅を開放して誌友会を始めました。以来今年で36年間続けております。結局、半年で主人が帰らぬ人となり、多額の借金と子供3人を抱え私の魂の勉強が始まりました。神様は解決できない問題は決して与えられないとの教えを信じ祈り、三正行を忘れず、働きながら地元の色々なお役もさせて頂き、「神様ごとは第一」を心がけ、懸命に明るく笑顔をたやさず、職場の方や顧客に感謝の祈りをしつつ働いていますと、考えられない仕事の成績となり、退職まで28年間、ほとんどトップの成績を上げることができました。
11年間で多額の借金を完済し、神様への感謝と自分へのご褒美として、平成9年、特志会員とならせて頂きました。そして数々の奇跡の体験も頂きました。この生長の家の生き方を学ぶ事ができなかったならば、決して得られぬ幸せを頂きました。これもひとえに地元の指導講師の先生、地区の皆様の御支援、御愛念を頂きましたお陰でございます。
この度の受賞は私が代表して頂いたものと思います。本当にありがとうございます。今年はありがたいことに主人の37回忌をさせて頂けることになりました。また、私は80歳の傘寿を迎えました。僅か20歳で出産後直ぐに他界した母の4倍も生かして頂いたこと。そして、今回の受賞と3つ重なり、嬉しいかぎりでございます。
これから未来の人々に美しい地球を残す為に、「神・自然・人間の大調和」の世界実現に向け、心を捧げ、祈りを捧げ、労力を捧げて参りたいと思います。今後共、皆様からの変わらぬご指導を頂けますことをお願いしまして、謝辞とさせて頂きます。
再拝
立教93年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(2人目)
二重光輪賞
後藤 清人講師 合掌、ありがとうございます。
この度は、「立教93年生長の家春季記念日、生長の家総裁法燈継承記念式典」において、栄えある賞を拝受させて頂き、心より感謝申し上げます。
私の様な者に頂けると言うことは身に余る光栄です。これもひとえに教化部長・久利修先生をはじめ職員の皆様、誌友・信徒の皆様のご支援の賜物でございます。衷心より厚く厚くお礼申し上げます。
振り返ってみますと、あっという間に今日まで来た感じが致します。もし私が生長の家のみ教えにふれていなければ、若い頃に霊界に行っていたと思います。
私が救われたのは生長の家のみ教えのお陰であります。仕事では部下の光明面を見て指導したことが業績アップに繋がりました。大分営業所長の時、所長代理として、教習生の中でトップで卒業した者が転勤してきました。それは素晴らしい人間で全ての面でずば抜けていました。
また、今里営業所長の時にも、優秀な代理が転勤してきました。若いスケールの大きい代理でした。私は当時、大きな目標を掲げて頑張っていました。彼と話をしていく中で所長としても十分やっていけると思い「君! 所長としてやってくれ。責任は私がすべて取るから」と云い説得。休みもなく5階建ての会社に泊まり込みで一所懸命に働いてくれました。勿論私も必死でした。お陰様で陣容日本一になりました。
定年になってからの人生は、京セラの創業者・稲盛和夫さんが「利他の心」が余生では大事だと話されていて、「社会の恩」に報いるため、お返しのボランティア活動をすることにしました。
栄える会・八尾柏原支部に入会して、毎朝6時から、久宝寺道場の早朝神想観の参加から始まりました。約1時間の行事です。また、1年後、故 加藤進支部長と奈良の富雄道場に朝4時半からの早朝行事に行くことになり、一緒に参加しました。そこでプルタブを集めて車椅子を贈呈する活動に協力。山の仲間や知友に働きかけて回収して持参。
ある時、奈良の栄える会の小林様から鴻池団地のアルミ缶回収を勧められ、毎月2回、朝6時集合し、八尾柏原支部の皆様と一緒に参加することになりました。売上代金で車椅子を購入し、身障者施設に贈呈することになりました。
約18年継続中。現在では子ども食堂にも寄付。 車椅子は75台、子ども食堂他慈善団体等、25か所に寄付しました。 また、12年前から栄える会の中環の森の植樹活動が始まり、私も参加するようになり、現在では「命の輝き共生の森」の代表となって、地域のために取り組んでいます。ボランティアも結局は自分のためです。徳積み、徳積みと思います。これからも多くの悩める人のお役に立つこと、そして後継者を育成することを念頭に頑張ってまいります。引き続きよろしくご指導・ご支援をお願いします。
再拝
大阪教区褒賞授与式が4月2日に執り行われました
令和4年4月2日、大阪教化部3階大拝殿にて、「大阪教区褒賞授与式」が執り行われ、「立教93年生長の家春季記念日、生長の家総裁法燈継承記念式典」で受賞された、本部褒賞をはじめ、各組織褒賞、感謝状、それぞれ栄えある賞が授与されました。
また、本部褒賞を受賞された7名の先生方から謝辞を頂き、改めて、大阪教区の幹部・信徒・誌友の皆様の素晴らしさを感じ、久遠生き通しの神の子の生命をより輝かせて、“自然と共に伸びる運動”を更に進展し、“新しい文明”の構築と教勢の発展を誓願致しました。YouTube配信の再生回数は385回でした。
立教93年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(1人目)
二重光輪賞
重村 ひろ子講師
合掌 ありがとうございます。
この度は、「立教93年生長の家 春季記念日、生長の家総裁法燈継承記念式典」において、栄えある賞を拝受させて頂き、身の引き締まる思いでございます。
心より感謝申し上げます。これも偏に教化部長・久利修先生をはじめ、白鳩会連合会長・房本喜久美先生、五者の先生方、そして歴代教化部長先生、ご指導頂きました諸先輩の先生方、信徒誌友の皆様のご愛念の賜と心より感謝御礼申し上げます。
子供の頃より母が生長の家の信仰をしており、誌友会や谷口雅春先生の講習会に妹の子守役として参加していたので、自然と教えに触れておりました。姉と大阪市内のアパートで生活していた19歳の頃、偶然、天神橋筋で生長の家の燈台を見つけ、懐かしさもあり、引き込まれるように入っていったのが白井先生のお宅でした。
それから聖使命会員になり、誌友会にも参加するようになりました。結婚を機に、聖使命会も千里丘に移し、毎日小さな子供を連れて神誌の伝道をしておりました。
そんな中、義母の病気がわかり、看病から最後を看取るまで大変でしたが、供養のため、義母の好きだった聖経『甘露の法雨』を一心に読誦していたところ、5年後に、ご先祖様の導きでしょうか、枚方に新しい家が与えられました。枚方に越して来てからは、子供の同級生のお母さんや、ボランティアで出会う人に伝道し、御近所の霊牌も祀り、御殿山の光明化を祈りました。
昭和56年に地方講師を拝命してからは、聖使命会員拡大に力をいれ、500名を目標に、氏神様の御殿山神社に毎日参拝して祈願していると、協力者も出てきて、支部から地区連になり、誌友会や母親教室、家族誌友会と、学ぶ場所と、何かと集まりをするようになりました。
それぞれの立場に合ったお世話をして、家族が生長の家になるようにお手伝いさせていただきました。平成12年に白鳩会長跡見晶子先生に御縁をいただき、白鳩会副会長を拝命、沢山の人と御縁をいただきました。その後、講師会副会長も拝命させていただきました。今は、コロナ禍で大変な毎日ですが、若い地区連会長にスマホの使い方を教えていただき、地区のライングループで輪読勉強会をしています。生長の家総裁・谷口雅宣先生の『“新しい文明”を築こう』を、皆さんで楽しく勉強しています。
リモートでも、真理の研鑽をして、神の子の自覚を深め、すばらしい地球を子供たちに残せるように倫理的な生活を実践して、新しい文明構築に邁進いたします。
再拝
立教93年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承本記念式典 本部褒賞・組織褒賞を受賞!
2022年3月1日(火)午前10時から、生長の家国際本部に於いて、「立教93年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が行われ、それぞれ栄えある賞を頂きました。 誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
本部褒賞
◎二重光輪賞重村 ひろ子 講師 / 後藤 清人 講師
◎西日本光輪賞下山 美枝子 講師 / 中村 綾子 講師
◎布教功労賞赤木 ヨシ子 講師 / 三井 善雄 講師
○壮年層・後継者育成優秀賞花光 義正 講師
組織褒賞
白鳩会 | “質の高い組織運動”実践賞大阪教区 |
“質の高い組織運動”企画賞大阪教区 | |
相愛会 | 優秀賞大阪教区 |
栄える会 | 個人の部“新しい文明”構築に向けての社会貢献武市 進 講師 |
立教92年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(6人目)
壮年層・後継者
育成優秀賞
西澤 美那子講師
合掌 ありがとうございます。
この度は、栄えある壮年層・後継者育成優秀賞を拝受させて頂きました事、心より感謝申し上げます。
正直申しましてビックリ仰天致しました。今までたくさんの素晴らしい諸先生方の御指導や総連、地区連の同志の皆様の御愛念のお陰と心より感謝申し上げます。私は、結婚前M銀行に勤めておりました。その当時、父は亡くなり、病気の母と二人暮らしをしていました。「お母さんの病気治るさかい、私と一緒に話を聞きに行こう」と誘われ、谷口雅春先生の御講話を母と一緒に拝聴した事を覚えています。
あれから数十年の時が流れ、教化部へも行かなくなり、何か私に出来る事、地区連にお役に立つ事はないかと考えました。その時ちょうど壮年層拡大の声を耳にしました。若い方を探すには、出掛けないと出会いがない。じーっとしてたらあかん! 早速計画を立てました。
若い親子の集まる幼稚園、保育所、公園に足を運びました。最初はすぐにお声掛けが出来なくて、親子さんの後を、さりげなくついて行き、家を憶えて、普及誌に私の名前と携帯番号を書いてポストに入れたりもしました。そうこうしている内に、私の気持ちを奮いたたせる事が起きました。それは日時計日記です。初めて日記を手渡された時、「これは毎日良かった事、楽しかった事を書いてね。願いが叶う日記です」と言われました。私は寝る前に時間を決めてどんなに遅くなっても書き続けました。フッと気がつくと、一つずつ叶っている事に気がつき、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
道でお声掛けしてもどんどん話が弾み、子ども達とも仲良くなりました。日頃心がけている事は、子どもさんの名前、生年月日、お母さんの携帯番号の交換は忘れずにします。出会ってから2日以内には必ず連絡を入れ、我が家で料理をしてお話し、食事はお互いの心が和みます。まず親しくなる事が大事です。ある時、親子さんの後をそれとなく見失わないように子どもさんの歩調に合わせて30分位歩いていると、我が家の近くの人でした。私自身ストーカーみたいと思った事がありましたが、どなたかがハッピースカウトよ!! と元気づけてくれました。
若い方から、「どうしたら問題が解決しますか?」と聞かれた時は「まず信仰は、素直に信じて行動する事『SSK』が大事です。簡単でしょう。その1つとして、日時計日記に『その問題は解決しました。神様ありがとうございます』と真心込めて真剣に書き続ける事、叶うまで書いてね」と話します。素直に信じて実行して結果が出た方の嬉しい顔を見るのが、今の私の生き甲斐です。
これからも使命ある限り、若い方にお声を掛け、お声掛けが出来る若い人を増やしたいと思っております。ありがとうございます。
再拝
立教92年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(5人目)
布教功労賞
松下 美恵子講師
合掌 ありがとうございます。
この度、「立教92年生長の家春季記念日、生長の家総裁法燈継承記念式典」において、布教功労賞という栄えある賞を拝受させて頂きました事は、身に余る光栄でございます。
これも偏に教化部長・久利修先生はじめ、各組織長の先生方、諸先輩の先生方、信徒誌友の皆様のご指導・ご愛念の賜物と心より感謝申し上げます。
私は主人の転勤で全国各地を廻り、平成元年箕面の地へと引越して来ました。そんな折突然女性が我が家を訪れ「郵便物が間違って入っていたのでお持ちしました」と、満面の笑顔で封書と共に一冊の「白鳩誌」を手渡して下さったのです。何かに導かれた様な気がし、小学生の頃、母が読んでいた本だったので、懐かしさの余り一気に拝読すると、生長の家の教えに感動! その後、愛深く熱心に誘って下さった講師の皆様方のお陰で、真理を真剣に学ぶようになりました。
多くのお仲間との出会いも嬉しく喜んだのも束の間、移転される講師の先生の跡を継ぎ、地区連会長のお役を引き受け、自宅で誌友会、母親教室、聖使命会感謝奉納祭と開催していると、次々と会員様が誕生し、光の輪が大きく広がり、地区連も活性化して参りました。若い世代の後継者も育ち、真理の輪も広がっています。地元の皆様の挺身、致心のお陰様と感謝しています。
学びの途上には、主人の突然の癌の宣言、手術、勤め先の破綻等、出きわく困難にも、只、ひたすら、戴いた御恩をお返ししたいと求道と伝道に励む中、神様に護られ、良き方向へ導かれました。
畏れ多くも、上田千代乃先生の輪読会で学ばせて頂いた折、長年学ばせて頂いた「早起き会」にも足が遠のいている事を尋ねると、二兎を追うものは一兎も得ず。 「生長の家」でお役に立ちなさい! の一言。母が信仰していた「生長の家」を継ぐことが神の御心に叶うことだと確信して励むことが出来ました。尊い真理を学ばせて頂き、正しい道へといざなって頂きましたことに心から感謝しています。
総連会長を1期3年、平成20年より定年までの4期12年間、白鳩会副会長を拝命し、連合会長のご指導のもと、幹部・会員の皆様と共に全力で人類光明化運動に取り組んでこられたことは最高の喜びでした。感謝一杯です。
地球温暖化は深刻化し、気候変動による災害が大きな被害を及ぼしています。生長の家総裁・谷口雅宣先生は、20年も前から地球温暖化・異常気象に警鐘を鳴らされ「神・自然・人間の大調和」を伝え続けて下さっています。PBS活動を多くの方にお伝えし、信仰者として、自ら地球に優しい倫理的な生活を実践し、新しい文明の構築に向かい邁進させて頂きます。ありがとうございます。
再拝
立教92年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(4人目)
布教功労賞
川村 正明講師
合掌 ありがとうございます。
この度、「立教92年生長の家春季記念日、生長の家総裁法燈継承記念式典」において、布教功労賞という栄えある賞を拝受させて頂きました事は、身に余る光栄でございます。
これも偏に教化部長・久利修先生はじめ、歴代の教化部長先生・各組織長の先生方のご指導・ご愛念の賜物と心より感謝申し上げます。
中学2年の時、盲腸の手術を受けました。
微熱が下がらず、1ヶ月入院しました。吉宗眞一先生が、腹部の手術を受けられた時手術中に生体離脱をされ手術の様子を上から見ていると引き出した内臓が元に戻らないので医者・看護婦が苦労している状況であったとの事でした。私も同じ状態であったと思います。腸が体にうまく収まらない胃腸の調子が悪い生活になりました。
父親が商売をしており、取引先の方が、「病気が治らないなら、生長の家で本を買って読めば治ります」と教えて下さり「生長の家」と言うのが、分からないまま、三代前の教化部に来ました。受付で「病気の治る本を下さい」と言った所、馬鹿にする事なく、当時、連合会長クラスの先生が交代で出席されておられ、その先生の勧めで当時の『生命の實相』(全20巻)の「第7巻」(生活篇)を買いました。
その時、青年会のお誘いを受け、入りました。病気は50歳頃に治りました。大学で(精神科学研究会)と言う同好会を作り活動しました。同志社大で、この学校はミッションでない為、活動が認められました。当時、青年会の全国大会は、3泊4日の日数で行われて、日本青年会館に宿泊し早朝行事・朝食の後、バスで会場に行くと言うスケジュールでした。会場は初め本部会館でした。
全国大会では弁論大会がプログラムに組み入れられておりました。或る年、村岸唯作講師が出場されました。高碕達之助衆議院議員の国会報告会で、彼がアメリカを訪問した時、マッカーサー元帥が「日本は素晴らしい国だ」と言って、天皇様が総司令部を訪問された時の話をしました。天皇様は持っておられた風呂敷包みを出され、「ここに私の全財産の目録があります。差し上げますので、国民に食料を供給して頂きたい」と言われたので元帥は驚き、天皇様を尊敬する態度に変わったと言う話です。
青年会・相愛会でいくつかの対策部長を、最後は連合会副会長を拝命致しました普及誌対策部長の時、普及誌の成果が全国のトップになっていました。そこで当時本部の職員であった小関先生が取材に来られ、当時の松山相愛会連合会長や他の連合会の役員と共に会い、機関誌に掲載されると言う事がありました。
難病に取り付かれた為に情けない生活が続きましたが、そのお陰で卒業する事なく信仰を続ける事が出来ました。
再拝
立教92年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(3人目)
西日本光輪賞
長谷川 史子講師
合掌 ありがとうございます。
この度は、「立教92年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」において、「西日本光輪賞」という栄えある賞を拝受させて頂きましたことは、身に余る光栄でございます。
これも偏に教化部長・久利修先生をはじめ五者の先生方、諸先輩の先生方、信徒誌友の皆様のご指導ご愛念の賜物と心より感謝申し上げます。
生長の家のご縁は昭和57年、電気店を営んでいました時、お客様が毎月、白鳩誌をお届け下さいましたおかげです。
当時私は、癌の術後で体調を崩していました。主人が少しでも楽になればと気遣ってくれまして、宇治の練成会に連れて行ってくれました。「人間は神の子」の話を聞き救われたような気持になりました。すぐに聖使命会員となり、聖歌隊にも入らせていただきました。
その後、健康を取り戻すことが出来、商売の方も大繁栄しました。毎日が楽しく感謝し、支部長のお役を受け、昭和63年、地方講師を拝命しました。失敗の繰り返しでしたが先輩の諸先生のご指導をいただきながら、一所懸命全力をそそぎ活動しました。よろこびが増し、自宅を母親教室、誌友会会場として開放させていただきました。入会される方が増えまして真理の輪が拡がりました。
そんな中、平成9年主人が肺癌で昇天し、生活が一転してしまいました。心を落ち着かせようと、聖経読誦、聖典拝読、神想観を続けましたが、前向きになれずにいました。落ち込んでいた私を先輩の先生、信仰のお仲間が多くの励ましのコトバをかけて下さり、心のすきまに寄り添って下さったおかげで、活動を始めることが出来ました。
その後、総連を立ち上げ、母親教室対策部長、聖使命対策部長、壮年層対策部長、副会長一期を拝命し、皆様と共に、壮年層の拡大に祈りを捧げ、霊界からの加護も感じながら、神様の大いなる流れの中で定年までお役をさせていただきました。私一人ではなしえなかったことです。寄り添って祈って下さったことに感謝いたします。
この体験、経験は私の宝物でございます。地球温暖化、異常気象が進み、コロナ禍の中、20年前より、生長の家総裁・谷口雅宣先生よりのメッセージ、「神・自然・人間の大調和」を伝え続けて下さっています。
今こそ、神様の愛を表現する時だと思い、地球にやさしい低炭素の倫理的生活の実践をPBS活動を通し特別なことでなく、日々、日時計主義の生き方を柔軟な心で、新しい人に、今与えられている場所で出来ることを一歩一歩、ていねいに明るく自然の一部であることを、もっと意識し、三正行の実践を通し楽しくお伝えすることが私の出来ることです。
これからも新しい文明構築に精進致します。ありがとうございます。
再拝
立教92年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(2人目)
西日本光輪賞
原田 静子講師
合掌 ありがとうございます。
この度、「立教92年生長の家春季記念日、生長の家総裁法燈継承記念式典」において、西日本光輪賞という栄えある賞を拝受させて頂きました事は、身に余る光栄でございます。
これも偏に教化部長・久利修先生はじめ、歴代の教化部長先生・各組織長の先生方のご指導・ご愛念の賜物と心より感謝申し上げます。
私は高校生の頃から子宮癌を克服した叔母から真理の話を聞いていました。結婚後、我が家の運命を修正する大きな出来事が起きました。
昭和48年バブルの中、河内長野に土地を買い、地鎮祭前日の夜、3歳の長女に熱湯で重傷のヤケドを負わせました。6歳から育てて頂いた継母さんへの感謝が原因であるとすぐわかりました。
救急病院の目の前に「白鳩会連絡所」の看板がありましたが、神様と出会う事はできませんでした。毎日、母と娘にお詫びをし、辛く苦しい日々でしたが、神様とご縁が繋がりますようにと祈り続けました。
新居が完成し、大調和の神示が天降った9月27日に河内長野に引っ越しました。4日後にポストに入っていた神誌を手にした時の感動は今でも忘れる事はありません。神様は、見えない所で救いの手を差し伸べて待っていて下さいました。我が家より1ヶ月早く枚方から転居し、百部愛行をされておられた愛深い先生とご縁を頂き、神様と繋がる事が出来ました。
毎日が嬉しくて有り難くて神意に添った生活を心がけ、楽しく伝道を続ける中で光の輪が大きく広がり地区も活性化しました。我が家の問題も解決し報恩感謝で講師を拝命して2年後に尊敬していた先生が61歳で亡くなられました。先生のご恩を忘れてはいけないと総連会長のお役もさせて頂く事になり、平成20年から定年までの6年間、白鳩会副会長を拝命し、連合会長先生のご指導のもと幹部・会員の皆様、そして陰ながら支えてくれました主人や地元の皆様のご協力を頂きながら2期務めさせて頂きました。又同時に練成会のお食事奉仕も10年間させて頂き、感謝一杯です。
これからも大先輩の先生方のお姿を学びながら精進努力してまいります。生長の家総裁・谷口雅宣先生は20年前から環境問題に取り組まれ、地球温暖化による気候変動に警鐘をならされ自然災害が多発するなか、飢餓の拡大、水の問題等、持続可能か不可能かと深刻な状態が報道されています。
私達信仰者として「足るを知る生活」を心がけ、価値観ライフスタイルを変えて、人間は自然の一部である事を謙虚に受け止め、エシカルな生活の実践をしてまいります。
そして、PBS活動を多くの方にお伝えする事と後継者の育成に心を尽くしてまいりたいとの思いを感謝の決意とさせていただきます。
再拝
立教92年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(1人目)
二重光輪賞
大朝 節子講師
合掌 ありがとうございます。
この度は、生長の家立教92年の記念すべき年に、栄えある賞を拝受させて頂き心より感謝申し上げます。
これも偏に教化部長・久利修先生をはじめ五者の先生方、そして歴代の教化部長先生、諸先輩の先生方、信徒誌友の皆様のご愛念の賜と心より感謝御礼申し上げます。
最高の御教え生長の家にご縁を頂き、皆様と共に楽しい光明化運動ができました事はこの上もなく幸せな事でした。
昭和19年、1歳半で小児結核を患い余命3ヶ月と宣告される中、母が枕元で聖経を読んで3ヶ月で快癒。この話をいつも聞かされて育った私は、どんな困難があろうと「教えがあれば大丈夫」の信念で生活してきました。
短大卒業後、小学校教員となり、児童に両親から讃嘆された事を記録する「ほめられ帳」を実践させて成績向上に繋がった事もありました。その後結婚し大阪で義父母と同居。躾の厳しい義母の言動に悩み、近所の誌友会に参加し、熊坂とく先生から、支部長、母親教室リーダー、地区連会長、総連会長をいわれるままに受け、その後副会長を5期、連合会長1期を拝命させて頂きました。
歴代の大物連合会長の上田千代乃先生、跡見晶子先生、村上龍子先生のもと、ほとんど講習会推進に携わりました。ハチマキ姿の布井イマ先生と500人以上の支部長会議でお願いの握手をして回った事、決起大会で80数名の総連会長さんの堂々とした入場行進、大阪ドームでの講習会では、3万人達成!! その時の歓喜、推進状況を手計算からパソコン処理できるようになった喜び等、なつかしい思い出が走馬灯のように蘇ってきます。
私が熱心になったきっかけは、嫁姑の問題でした。誌友会で「大事なご主人を生んで下さった姑さんには感謝よ」と講師から諭され感謝に徹すると、姑の言動が気にならなくなり「私を成長させてくれる観世音菩薩」と拝めるようになりました。
ところが今年2021年1月、先祖供養をしてる時に急に姑の苦労話を思い出したのです。戦争中、仕事で夫不在の中、姑は息子3人と舅の5人で大阪と鹿児島2回も空襲に合うという苦労話に思いを馳せてると、姑のお陰で今の私の幸せがあると感謝の涙があふれ、聖経も読めない程でした。もうとっくに感謝していると思ってましたが感謝しているつもりだったなあ、おかあさんごめんなさい、ありがとうと結婚50年目にしてやっと魂の親子になれた気がします。
この度は、地元の方のご協力あればこそと感謝の思いでいっぱいです。これからも、コロナ禍の中にあっても世界の実相は大調和であると深く自覚し、真理を実践し、新しい文明の構築に邁進致します。
再拝
立教91年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(5人目)
布教功労賞
住永 哲一講師
合掌 ありがとうございます。
この度は、生長の家立教91年の記念すべき年に布教功労賞の栄誉に浴し、身に余る栄光を謹んでお受けさせていただきました。
これも偏に教化部長・久利修先生を始め、歴代教化部長先生、各組織長の先生、諸先輩の先生、信徒、誌友の皆々様のご指導、ご支援の賜物と心より感謝お礼申し上げます。
私は、旧市岡中学校を卒業した父、親戚に寺田繁三先生を持つ母の子供として、大阪市住吉区に生まれました。生長の家の御教えを通して、両親、兄弟に祈りと感謝の生活をしております。戦時中に、疎開のため羽衣に引っ越ししましたら、寺田繁三先生が筋向いに居られました。毎日来てくださいまして、真理のお話を聞かせて頂きました。
小学4年生の時から、父や母に連れられて、毎月3会場と阿倍野道場へお話を聞きに行っていました。高校2年生の時、兄に連れられて、初めて大阪青年会に、高校3年生の時には、堺青年会が発会し、兄と共に、神童会、例会、家庭訪問へと自転車で楽しく悦んで廻っておりました。
昭和41年、突然に激しい痛みと咳き込み、吸うことができるが、吐くことができず(自然気胸)死ぬのかと、最後に両親に喜んで頂いてからと思った時、息が自然にできるようになりました。すぐに祈り、聖経を誦げていましたら、治っていたかもしれません。逆に両親に「祈り」「聖経」を誦げ続けてもらいました。病室が空かないので、1ヶ月後に入院致しました。国立病院で病棟全室が個室、さすが国立と思っていましたが、後で聞いた話では、「死に病棟」と言われていました。入院したその夜、天井の隅に、黒い物がうようよと蠢いているので、これが迷っている霊魂だと思い、「聖経」を誦げさせて頂きました。
寝たきりから動けるようになり、他の病棟へ行き、「人間神の子」「病ナシ」を話すと、「治ってから来い」と言われました。一人の方から一海景有先生のお話を聞いたことがあるとのことで、兄に頼み、毎月来て下さり、皆は、次々と退院されました。私は、肋膜に水が溜まり、膿となり(膿胸)毎月、膿を抜いていました。医者から「一生治らない」と宣告されましたが、「コトバの力」で、「来月から抜かなくてもいいです」と言い、3ヶ月で私も玄関から退院することができました。
平成4年に堺東相愛会の会長が昇天され、会長を拝命致しました。前年度の講習会参加者は、17名で、今年の目標は30名。私は目標が必ず達成できると確信していましたら、31名の方がご参加くださいました。
その後も順調に目標を突破しております。息子の高等専門学校受験が決まってからの10日間で、私は「聖経」100巻読誦させて頂き、見事合格。続いて1、000巻、10、000巻と今も尚続けております。娘も教化部に奉職し、教化部長・久利修先生を始め、職員の皆様、多くの先生方に可愛いがって頂き、感謝しております。
まだまだ未熟な私ですが、勉強に勉強を重ね、日々祈りと感謝を忘れず、「神・自然・人間の大調和」を一人でも多くの方々にお伝えし、“新しい文明”の構築に邁進して参ります。
再合掌
立教91年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(4人目)
布教功労賞
佐竹 ひろみ講師
合掌 ありがとうございます。
この度、栄えある賞を拝受させて頂き、心より感謝申し上げます。これも教化部長・久利修先生、白鳩会連合会長・房本喜久美先生をはじめ歴代の諸先生方のお蔭と重ね重ね感謝申し上げます。
振り返ってみますと、私がこの世に生を受けた時には、既に、「生長の家」が伝わり、もの心ついた時には、我が家で神童会(現在の生命学園)をしておりました。それで、小学生からずうっと青少年練成会に参加しました。別に特に行きたいとも嫌だとも思わず、ただ空気のように、「生長の家」の教えがありました。
青年会時代は団塊の世代で、東大安田講堂暴動事件など、革マル派や中核派の闘志が鉄パイプにヘルメット姿で街を闊歩していました。そんな中での活動でしたが、逆に使命感に燃えました。
就職したキリスト教の学校も教員の中で、革マル派の活動家がいましたが、実はその職場で夫と出会いました。奇しくも夫の家も「生長の家」の信徒でした。それで結婚してからも「生長の家」の運動に反対もされず、逆に私が少しでも熱を出すと「感謝してなかったのとちゃうか?」と冷やかされるような状態でした。
男の子3人が相次いで誕生し、育児に一段落着いた時に、当時の連合会長の跡見晶子先生より、青少年育成対策部長を任命して頂きました。その時は組織のことも何も分からなかったのですが、母に報告すると、いきなり涙をこぼして、お仏壇に手を合わせて、喜んでくれたのを昨日のように思い出します。母に「ご先祖さまのお蔭でそんな大事なお役を言ってもらえたんやで。あんたが偉いのではないよ。」と、コンコンと言われました。その時から、対策部長4期、副会長5期をさせて頂きました。
その間、平成14年に次男の突然の死という出来事がありましたが、青年会の当時の委員長・中井亮太朗先生をはじめ、青年会のお仲間のお蔭で、充は有意義な26歳7ヶ月という生涯を全うさせて頂きました。
ただただ感謝です。この時ほど、「信仰なかりせば…」という思いを強くしたことはなかったです。信仰の偉大さをしみじみと感じました。すごい宝物を産まれた時から授けられていたことに、やっと気が付きました。
これからもしっかりと生長の家の教えを実践し、「神・自然・人間の大調和」のエシカルな生き方をお伝えしていくことをここにお誓い申し上げます。
再拝
立教91年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(3人目)
西日本光輪賞
菅原 宣子講師
合掌 ありがとうございます。
この度、栄えある賞を拝受させて頂き、心より感謝申し上げます。これも偏に教化部長・久利修先生をはじめ五者の先生方、そして、入信来至らぬ私をご指導下さいました歴代の教化部長先生、諸先輩の先生方のご愛念の賜と心より感謝御礼申し上げます。
「生まれ変わって帰って来ます!」と主人に置き手紙をして、宇治の一般練成会に参加したのは32歳の夏。12歳より次々と起こる3つの病(中学1年より心臓弁膜症で運動一切禁止。高校3年の卒業前、抗生物質の薬害で全身の皮膚が溶け、40日間入院し、受験を断念。その後遺症で悩む日々。32歳で椎間板ヘルニアで動けず万年床。)を抱え、「みんなと同じ生活がしたい。」「自分は生きる価値があるのか。」と仏教・キリスト教に答を求め、煩悶の日々でした。
結婚の時母がくれた1冊の白鳩誌と『甘露の法雨』のお守護を思い出し、一気に貪り読みました。“私が求めていたのはこれだ!!”と。宇治へ這いつくばって行きました。
第一講話、一番前の真ん中で座れないので、寝そべっている私に藤原敏之講師は「あんた! 自分で生きていると思てるやろ。」「あんたの中に神様がおってな、あんたは“その神様の生命に生かされてるんや!!”」と一喝。私は唖然としました。今まで求め続けていた人間観、人生観、価値観全て、この練成会で会得でき、病は癒され、生きる喜びが湧き、涙が止まらない練成会でした。
「この教えを多くの方に伝えたい。お役に立ちたい。」と決意し、リーダー、聖歌隊と教化部に通う機会ができ、上田千代乃先生のお声かけで幹部の末席に加えさせて頂くようになりました。
「あなただけ講師でないから、すぐ試験を受けなさい。」と受験。「せっかく幹部にならせて頂いたのだから、交野一支部を総連にしたい。」と発願し、支部の仲間と先祖供養を一軒一軒勧めながら会員を作り、総連を立ち上げることができました。
幸いにも、入信当初より上田千代乃先生2期、横木辰雄先生2期、跡見晶子先生2期、村上龍子先生2期と、素晴らしい会長先生の元、お仕えさせて頂き、その後講師会長2期務めさせて頂きました。44年間生長の家人として心がけて参りましたことは、中心を見失わない亊。神様ごとを一にし、報恩感謝で出講し教えを伝える事でした。
母の愛が私の我の生活から真理を生きる生活へと一変させ、夫や仲間達の愛念が私を支え応援して下さり、この度の賞を頂くことができたのだと改めて感謝申し上げます。運動は時代応現に変化して参ります。
この現象難の時こそ、私達信仰者は、しっかりと生長の家を実践し、“神・自然・人間の大調和”の倫理観に基づいた生き方を伝え、祈りと共に新しい文明の構築に邁進して参ります。
再拝
立教91年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(2人目)
西日本光輪賞
村上 龍子講師 合掌 ありがとうございます。
この度は、生長の家立教91年の記念すべき年に、西日本光輪賞の栄誉に浴し、身に余る光栄を謹んでお受けさせて頂きました。
これも偏に生長の家参議大阪教区教化部長久利修先生始め、歴代の教化部長先生、各組織長の先生方、諸先輩の皆様、信徒誌友の皆様のご指導ご支援の賜物と心より感謝御礼申し上げます。
顧みますと、瀕死の病から救われた母は、「神様に救われた御恩は生涯忘れてはならない」と、神様事を第一に求道と伝道に励み、西日本光輪賞を拝受して九十五歳の天寿を全うしました。
お陰様で娘も福井教区で事務局長を拝命し、孫も生命学園や青少年練成会に導かれ、真理の灯が四世代に繋がりゆくことを嬉しく思います。
天皇陛下のまします日本国に生を受け、生長の家にご縁を頂き、初代総裁・谷口雅春先生から谷口清超先生、谷口雅宣先生へと三世代の総裁先生にまみえることが出来ました光栄は感謝の極みに存じます。
21歳の時、因島の片田舎から大阪に嫁ぎ、故鈴木桂祐先生の誌友会にご縁を頂き、30歳の時に我が家で母親教室を開設しました。その頃拝読した谷口輝子先生著の『女性の書』に「何がなくても魂の喜ぶ道を歩もう。」というお言葉に涙が溢れ、一筋の道を歩むことが出来ましたのも、陰ながら支えてくれました主人や家族、地元の皆様の協力あればこそと感謝の念深まるこの頃です。
図らずも、36歳の時、故上田千代乃先生の下で三期9年間(事務局長兼副会長一期と副会長二期)、跡見晶子先生の下で副会長三期9年間、尊きお導きを頂きました。
さらに、54歳の時に日本一の大阪教区の連合会長を拝命し、「吾自らにて何事も成しえず、神吾に宿り給いて無限の力を発揮し給う」という聖句を心の指針として、三期9年間全身全霊を捧げ、神と偕なる喜びの運動を展開し、数々の貴重な経験を積ませていただき只々感謝でございます。
その間、講習会、全国大会、団体参拝練成会を始め、幹部・会員の皆様と共に生命を燃やした菩薩道は生命が躍動する人生の黄金時代であり信仰進化の旅路でもありました。
昭和60年、相白青「三者組織の構築」から、両軸体制の運動への移行、炭素ゼロ運動の提唱、自然と共に伸びる運動へと時代応現に変化しながら盤石な組織基盤が整備されました。そして毎年壮年層対象講演会が開催され、推進、運営等を通して素晴らしい壮年層後継者が育って参りました。
平成16年には、総工費24億円の真理の殿堂大阪教化部会館が落慶され、信徒誌友の皆様の長年の夢が華開き練成会や各種行事を通して救いのゆにはとなっています。
また、平成21年3月1日の生長の家総裁法統継承祭に於いて、谷口雅宣先生、生長の家総裁御襲任、谷口純子先生、生長の家白鳩会総裁御就任を寿ぎ、全国信徒を代表して祝辞を述べる光栄に浴し畏れ多いことでございました。
平成28年には教務の辞令を頂き、新しい文明の構築に向けて、生命ある限り報恩感謝の誠を捧げて参りたいと思います。ありがとうございました。
再拝
立教91年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞(1人目)
二重光輪賞
國領 正俊講師 合掌 ありがとうございます。
この度の二重光輪賞受賞に当たり、今までご指導下さいました教化部長・久利修先生、歴代の教化部長、そして多くの諸先生に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
そして個人指導して下さった久保ヒサ先生(故人)に感謝です。そして「生長の家」に導いてくれたご先祖様、両親、妻に感謝です。
さて、生長の家にご縁を頂いたのは、日本武道館で「相愛会全国大会」があるので参加して欲しいと言われ、初めて生長の家に触れたのです。当時は他の宗教をやっていて、特に感動しなかったのでそのまま10年間は縁がなかったのです。(妻が聖使命会員に繋いでくれていました)しかし、47、8歳の頃に大阪東部総連一泊見真会に参加、その後、対策部員に誘われ組織に携わりましたが、信仰に興味があった訳ではなく、むしろ組織に関心がありました。そこで出会った森本淳三先生(故人)が大変良い方でしたので、その縁から真理に触れたのです。
それからは幾つかの対策部長、連合会副会長を2期、そして連合会長を2期拝命。(同時に総括実行委員も2期を務めさせて頂き貴重な経験をさせて頂きました)
当時は自分の中では、“凡ての点で日本一”が目標でしたから、他教区に負けない成果を上げることでした。お陰様で幹部、会員のご努力で大きな成果を上げることが出来ました。又、当時の教化部長妹尾先生が、「國領さん、禅宗には自分が役職を与えられたその時から、自分以上の後継者を育てることが使命であるのに、それを怠ることを“断道の罪”と云う」と教えて頂き、後継者育成に努めました。
練成会に全泊して、参加者(特に新人)に声をかけ会員に成り、幹部に育って頂くよう努めました。甲斐あって今では多くの方が幹部として活躍して下さっています、ありがたいことです。
さて、わたしの若かりし時の生活は、まず短気・我儘・好き嫌いが激しく(今も直ってないなー)家族には大変迷惑をかけて来ました。
そんな私が今日まで運動して来られたのも、家族と周りの人たちに恵まれたお陰です。本当に尊い財産です、真理の面での財産は勿論「生命の実相」であり、「数々の聖典」そしてそれに歴代の教化部長先生、先輩講師の方々、これまで指導して頂いた時に記録した何冊もの真理の「講話ノート」が財産です。
これからの使命は矢張り、「大阪練成会」が再開され、練成主任として運営委員と共にお役に立つべく講話ノートを使って頑張ることと思っています。わたしを長年支えて下さった凡ての方々に心から感謝と御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。今後もよろしくご指導下さいませ。
再拝
令和2年3月1日(日)立教91年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典
令和2年3月1日(日)“森の中のオフィス”(山梨県)に於いて、「立教91年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が行われ、それぞれ栄えある賞を頂きます。
誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
組織団体賞
【白鳩会】 | “質の高い組織運動実践賞” 大阪教区 |
【青年会】 | 優秀賞 大阪教区 倫理的な実践活動優秀賞 大阪教区 |
【栄える会】 | 個人の部 “新しい文明”構築に向けての社会貢献賞 後藤 清人 講師 |
個人賞
◎二重光輪賞 | 國領 正俊 講師 |
◎西日本光輪賞 | 村上 龍子 講師 / 菅原 宣子 講師 |
◎布教功労賞 | 佐竹 ひろみ 講師 / 住永 哲一 講師 |
○教区役職者に対する感謝状 | |
佐々木 あづま 講師 |
立教90年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞
布教功労賞
中村 綾子講師 合掌 ありがとうございます。
この度、「立教90年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」において、布教功労賞という栄えある賞を拝受させて頂きました事は身に余る光栄でございます。
これも偏に教化部長・久利修先生はじめ、各組織長の先生方のご指導・御愛念の賜物と心より感謝申し上げます。ありがとうございます。
我が家に「生長の家」を伝えていただきましたのは、戦後しばらくして産まれた私の病気と家庭苦の頃だったと両親から聞いております。近所に住む講師の先生が熱心に愛情をもってお伝え頂いたお陰です。もしあの時生長の家にご縁が無かったら両親をはじめ今の私や家族の幸せは存在しませんでした。その後両親の二人三脚の求道と伝道、母が昭和61年に講師になり喜んで出講する姿を私は、横目で見て辛うじて母親教室のリーダーと支部長を受けておりました。
平成3年5月14日のこと、母と友人2人の4人で信楽陶芸博にでかけ、脱線事故を起こした列車に乗り合わせました。前もって乗り換えなど調べていたのですが、小学校の遠足に出逢うなど3度も足止めにあい、結局列車の座席には座れず、入り口付近のぎゅうぎゅう詰めの中に居り、それが幸いし、脱線時の衝撃に耐えることが出来、無傷で助かりました。足止めもなくスムーズに乗っていたら死んでいたであろう。助かったということはまだ使命がある! それならお役に立たせて頂きたいと思いました。
平成14年から四年半、白鳩会聖使命会員拡大対策部長を、平成25年より今年2019年8月定年までの6年間白鳩会副会長を拝命し、連合会長のご指導のもと、幹部・会員の皆様と共に「地球を救う聖使命! 寝ても覚めても聖使命!」その時々の運動に喜び、悩み・全エネルギーを注いでこれたことは最高の喜びでした。「なんて私は幸せ者か!」と感謝いっぱいです。ありがとうございます。
今年2019年の台風15号・19号による甚大な被害の報道を見るたびに「総裁谷口雅宣先生」は、20年も前から地球温暖化・異常気象に警鐘をならされ「すべては神において一体!」であり信仰者として生きよう!とご指導頂いておりますのに、私は、まだまだ頭だけの理解であったと深く反省しております。
今日より、今まで以上に真剣に「地球に優しい生き方の実践」と「災害対策アクション」を起こしてまいります。「もしもの時の日用品作り」などのPBS活動を活発に展開して一人でも多くの方にお伝えすること! を感謝の決意とさせて頂きます。ありがとうございます。
再拝
布教功労賞
佐々木 あづま講師 合掌、ありがとうございます。
この度、「立教90年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」において、布教功労賞という栄えある賞を拝受させて頂きまして、身の引き締まる思いでございます。
これも偏に、教化部長・久利修先生はじめ、各組織長の先生方のご指導・ご愛念の賜物であり、生教会教区会長として至らない私を九年間もの間、支えてくださった役員・会員の皆様のお蔭であると、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
私にとっての生長の家は、昭和9年に祖父母が入信し、それが父母へと受け継がれたものでした。今でも、祖父の祈っている後ろ姿を見ながら、自分も合掌していた幼い頃を思い出します。
そして学生の頃、伯父の宇沢義一講師より「大阪生命学園を立ち上げるので、手伝ってほしい」と言われ、鹿沼景揚先生や野木清司先生が幾度となくお越し下さり、「全ての子供たちに宿る神性を引き出す、間断なき祈りの大切さ」を学ばせて頂いたものでした。当時は、教職員4名と指導員8名に児童数が110数名で発足、3クラス編成で毎週開園、懐かしい先達の先生方に心より感謝を捧げます。
また9年前に、私が教区会長に選出された時には、まさに“青天の霹靂”で戸惑うばかりでしたが、前教化部長・妹尾壽夫先生よりのご指導はじめ、大朝節子・前白鳩会連合会長のご尽力、國領正俊・元相愛会連合会長のご支援により、6つの生命学園が18にまで拡大されました。このように次の世代を担う青少年を育成する拠点が3倍になりましたことは、何物にも代えがたい慶びでございました。
大阪生命学園の大朝園長は、児童達の作品を見ながら、「神の子◯◯さん、おはよう、今日も元気でね」と、「愛おしくって、たまらないのよ」と言いながら毎日祝福讃嘆して下さっています。
このように生命学園のスタッフの皆様は、児童1人1人を祝福讃嘆されながら、生命学園の運営にご尽力されています。集まって来る児童たちは、小学生練成会でも祝福讃嘆されて、すくすくと神性が開発されていきます。両親以外に、その子の健やかな生長を祈って下さる方がいるのは、本当に有難く、とても嬉しいものですね。
これらの素晴らしい生命学園の活動や青少年の育成を通じて、私たち生教会の本来の目的である、「生長の家の教育法」を実践する現職の教職員を増やしていくべく、今後も皆様のお力添えをいただき、活動してまいりたいと存じますので、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
再拝
西日本光輪賞
中井 恒夫講師 合掌 ありがとうございます。
この度は「立教90年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」におきまして生長の家総裁・谷口雅宣先生より西日本光輪賞という栄えある賞を拝受させて戴き身に余る光栄に浴し心より感謝お礼を申し上げます。
これも偏に教化部長・久利修先生はじめ各組織長の先生方のご愛念とご支援の賜であると有り難く感謝いたしております。
生長の家との出会いは、両親が昭和14年に旧布施市永和に引越した時、隣家の河野八千代様と云う生長の家の先生との出会がご縁と聞いています。その後津山市の疎開先で私が昭和21年に生まれ、25年に大阪に移りましたのが旧河内市瓜生堂で板谷正義様宅の傍でございました。
母は生長の家をされている方を探し誌友会に参加する傍ら自ら近くで誌友会を開催したいと願い板谷様のお母様のご尽力で公民館を会場として誌友会を開き始めました。
昭和29年私の長姉曜子が高校1年生で青年会委員長であった吉倉修三先生に可愛がって頂き、私も小学1年生から神童会に連れて行って貰った事を思い出します。時は経ち、昭和37年に現在の高安に引越してからも後に母は自宅で誌友会の開催を始めました。吉倉修三先生弘子先生ご夫妻が山本の地に越して来られて以来有りがたくも家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いております。昭和52年3月に開催された第1回相愛会男子全国大会に吉倉先生から一緒に行きましょう。とお誘い戴きそれから地元で男子会を開き、相愛会活動に参加する様になりました。
昭和62年、63年と武道館での全国大会で2年続けて司会を務めさせて戴いた事も大きな喜びでございました。
振り返りますと歴代の教化部長先生はじめ、今は亡き多くの先輩の先生方から暖かいご愛念とご指導を戴いて参りました。大阪東部総連におきましても初代総連会長の玉西敏雄先生から常に誉め育てて戴き、総連会長拝命後も多くの同志、仲間の協力に支えられ共に組織運動に邁進して参りました。
連合会副会長を5期15年務めさせて戴き、最後のお役として相愛会連合会長を拝命致しましたのも、生長の家の御教え真理を戴いて、今ある自分に出来る恩返しに、と思わせて戴いたからでございます。
大聖師・谷口雅春先生の「人間・神の子」の御教えにより、家庭では良き妻と娘と息子を授かり、息子夫婦が純粋に御教えを行じ、素晴らしい家庭を築いている事を一番喜んでいるのは、小学生練成会への参加を最初に勧めた私の母であろうと思っております。
今後はこの賞に恥じない様、より一層「神・自然・人間の大調和した世界の実現」と「新しい文明の構築」に邁進して参ります。
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二重光輪賞
長谷 信一講師 合掌 ありがとうございます。
この度、生長の家立教90年の記念すべき年に、図らずも生長の家最高の褒賞であります二重光輪賞を受けることとなり、身に余る光栄に心より感謝申し上げます。
この栄えある賞を頂くにあたり、教化部長・久利修先生をはじめ、各組織長の皆様のご協力とご支援の賜と感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
図らずも生長の家にご縁を頂いたのは、昭和41年、25歳の時でした。
病気がちの父親が排他的な宗教に入ろうとした時に、私と母が猛反対し、何とか止めさせたいと思い、家族で話し合っている時に、母が昔、20数年前に友達に誘われて生長の家の話を聞いたことを思い出し、近くに生長の家をしてる人はいないかと探していると、駅前で講演会があることを知り、父母と私とで参加しました。初めてなのに旧知の親友のように出迎えて頂き、会場の雰囲気も明るく、講師である島崎忠雄先生の話がたいへん楽しく感動しました。
阿倍野道場で青年だけの集まりがあるとの誘いがあり、早速、青年会に出席、活気溢れる会に心を惹かれ入信、それ以来、休むことなく教え一筋に信仰し、活動して来ました。父母兄弟姉妹家族全員が生長の家となり、笑いの一つもなかった家庭に明るい笑いの多い楽しい生活が始まりました。
その後、青年会で知り合った女性と結婚し、神童会・相愛会合同誌友会を開き続けて20数年、ある日突然、妻が病に倒れ、会員の皆様が身体を思い、昭和48年から平成10年まで休会とさせて頂きました。
病に倒れた妻が入院して重体となり、介護と仕事に追われた生活が続き、気が付くと相愛会員が減り、存続が難しくなり、このままでは消滅以外にないと感じながら、妻のことを考えながら大変だと思ったが、「ここで奮起しなければ!」と相愛会誌友会の発会を決意しました。平成19年、先ず何から始めるか? それは祈りからと閃き、「同志を集めるための祈り」、そして写経、平成23年4月より相愛会合同誌友会を開催、祈りと写経のお蔭で、会員2名から2年後に新人9名、そして3年目には新人4名で合計15名と楽しい誌友会となり、幹部も生まれ、講師が2名も誕生し、現在も有意義な活動を続けている今日この頃であります。
これからも、会員一丸となって、「神・自然・人間の大調和した世界の実現」と“新しい文明”の構築のため邁進して参ります。
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二重光輪賞
山根 園講師 合掌 ありがとうございます。
この度は、図らずも生長の家総裁・谷口雅宣先生より、二重光輪賞という最高の栄えある賞を拝受させて頂きまして、身に余る光栄に浴し、恐縮の極みに存じます。
これも偏に生長の家参議・大阪教区教化部長 久利修先生はじめ、各組織長の先生方のご指導ご鞭撻の賜であり、心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
そして、信仰歴浅い未熟なる私を、ここに至るまで育み導いて下さいました信仰熱き諸先輩の皆様、高邁なる理想を掲げて共に歩んだ同志の皆様、苦楽を共にした幹部・会員の皆様と共に生命を燃やした魂の喜びは、お金で買うことのできない貴重な体験を与えて下さいました。
定年を迎えても尚、生き甲斐のある食事ご奉仕のお役を頂きましたことは、仏教では典座と讃えられ、この上ない悦びでございました。「練成会ご参加の皆様に、如何に“美味しいノーミート”の料理を提供するか」ということを常に考えながら、ご奉仕の皆様と寝食を共にして神様にお仕えした9年間は、練成講話は聴けませんが、教化部会館全域が”住吉大神様の聖霊天下る、浄化と救いの働き”に包まれた至福の環境の中で、肉体は疲れ果て、足が棒になっても、魂は歓喜溢れる喜びに満たされていました。
顧みますと18年前、当時の白鳩会連合会長より副会長を依頼された時、「とても出来ません!」と断りましたら、「事務局長は如何ですか?」と勧められ、副会長より楽だと判断した私は「ハイ」とお受けして、事務局長を9年間、副会長を3年間の合計12年間の幹部生活に全身全霊を捧げました。「お母さんは、死んだものと思ってくれ」と、家族を説得して今日に至っておりますが、いつの間にか13人の孫に恵まれ、うち2人の孫が防衛大学校に進学して、幹部候補生として日本国を担う有望な青年に生長しています。
「我自らにて何事も成しえず神我に宿り給いて無限の力を発揮し給う」という聖句の如く、すべて神様の御手の中に抱かれ、護られ、導かれていたことに気が付きました。
そして、霊界から深い愛を注いで見守り下さる主人の生き通しの魂を感じながら、会社経営の多忙な中を、自由に羽ばたかせてくれた家族に万感の感謝を捧げたいと思います。 これからの余生は、与える与生として、菩薩の道を歩みつつ、どこまでも教務を目指して邁進する所存でございます。 奇しくも新しい元号“令和”の時代の幕開けが生長の家立教90年に当たり、神と自然と人間が大調和した世界の実現と“新しい文明”の構築をお誓いして、感謝の言葉に代えさせて頂きます。ありがとうございました。
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本部褒賞並びに地方・教区褒賞授与式
改めて、“新しい文明”の構築と教勢の発展を請願致しました!
平成31年4月24日午後12時30分より、大阪教化部3階大拝殿にて、「本部褒賞並びに地方・教区褒賞授与式」が執り行われ、本部褒賞はじめ、講習会、聖使命、普及誌、誌友会、組織会員等の地方褒賞、高額献資等の教区褒賞、それぞれ栄えある賞が授与されました。
誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
改めまして、大阪教区の幹部・信徒・誌友の皆様の素晴らしさを通して、久遠生き通しの神の子の生命をより輝かせて、“自然と共に伸びる運動”を更に進展させて、“新しい文明”の構築と教勢の発展を誓願致しました。
本部褒賞(二重光輪賞・西日本光輪賞)を受賞され、謝辞を述べられた下写真左から山根講師、長谷講師、中井講師
立教90年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典にて個人賞・組織団体賞を受賞
平成31年3月1日(金)生長の家総本山に於いて、「立教90年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が行われ、それぞれ栄えある賞を頂きました。
誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
【個人賞】
◎ 二重光輪賞 山根 園 講師 |
◎ 二重光輪賞 長谷 信一 講師 |
◎ 西日本光輪賞 中井 恒夫 講師 |
◎ 布教功労賞 佐々木 あづま 講師 |
◎ 布教功労賞 中村 綾子 講師 |
【組織賞】
白鳩会 “質の高い組織運動”実践賞 樋上 和子 会長 |
青年会 優秀賞 横田 朋哉 委員長 |
青年会 倫理的な実践活動優秀賞 井上 理子 副委員長 |
栄える会 社会貢献賞 麻野 秀明 会頭 |
【聖使命会費取扱者10年以上で感謝状と記念品を贈呈された30名の皆さま】
【白鳩会】 |
秋山加世子 殿 / 井澤加代子 殿 / 稲野 晴美 殿 / 今井 治子 殿 / 岡本 真苗 殿 衣川 和子 殿 / 小林 三恵 殿 / 坂上 照子 殿 / 坂本 諄子 殿 / 斯波いく子 殿 白方寿美子 殿 / 新嘉喜幸子 殿 / 住永 祥美 殿 / 中村 靖子 殿 / 長峰佐知子 殿 西田 圭子 殿 / 橋本 松子 殿 / 藤原千栄子 殿 / 松井 暁子 殿 / 松本 弘子 殿 矢野 房子 殿 / 山本 尚子 殿 / 渡辺なほみ 殿 |
【相愛会】 |
麻野 秀明 殿 / 新開 浩二 殿 / 玉西 邦洋 殿 / 増田 喜彦 殿 / 若松 博 殿 |
【青年会】 | 香川 和貴 殿 / 津下佐智子 殿 |
( 50音順 ) |
立教89年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞
布教功労賞受賞
小田 惠造講師 合掌 ありがとうございます。
「立教89年 生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」において、「生長の家布教功労賞」の受賞をするとのお知らせを頂いた時、「えっ! 私が受賞?」の驚きの気持ちが強く、3月1日総本山での式典に臨むまで「何かの間違いではないの?」と思っておりました。
と申しますのも、私が人類光明化運動・国際平和信仰運動に加わらせていただいたのは、平成13年55歳になる頃からで、それも私が高校生の時に、大学生として青年誌友会を開いておられた先輩から「家で誌友会を開催しているから、昔のように顔を出したら。待っているから」と、声を掛けて頂き、相愛会員となってからのことで、これまで受賞されてきた方は、永い間、信仰活動を継続され、光明化運動に多くの成果を挙げてこられた方々で、大阪教区には「私ではなくても、沢山の素晴らしい方がおられるのに…」と思ったからです。このような私を受賞にお導き下さった皆様に心から感謝申し上げます。
私は、父が『生長の家』誌を購読する家庭で育ちましたので、私も『精神科学』『理想世界』を読ませていただいていたこともあり、高校生・大学生の長期の休みには、練成会に参加することが多くありました。そこで学んだ早朝の神想観と聖経読誦は、日課のようになっており、制限の多い職業に就いてからも、普及誌の継続も続けておりました。このことが今の自分の基礎となっていると思います。33年の冬眠状態の期間を経てから、生長の家相愛会の活動に加えていただいてからは、所属した相愛会の会長、総連会長、連合会長をはじめ会員皆様のご愛念の下、生長の家のみ教えの素晴らしさと真摯な態度をとられている先輩諸氏を目の当たりにしてまいりました。又、地方講師を拝命してからは、教化部長先生をはじめ白鳩会・青年会・地方講師会・栄える会・生教会、そして教化部職員の皆様との接点も増え、これまで以上に、光明化運動の意義深さを感じるようになりました。
「私は神の子です。あなたも神の子です。使命をもって生まれてきました。日本と世界のお役にたちます。」
これからも日々の三正行を怠らず、光明化運動に寄与してまいります。
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立教89年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞
布教功労賞受賞
長谷川 史子講師 合掌、ありがとうございます。
立教89年生長の家春季記念日に総本山にて、布教功労賞を感謝し、承らせていただきました。ありがとうございます。
教化部長・久利修先生はじめ、七者の諸先生方、誠にありがとうございました。長きに亘り、ご指導下さいました先達の諸先生、ご縁のありました皆々様、ありがとうございました。
この教えにふれたのは昭和56年で、当時、電気店を営んでいました。お得意先の奥様から「この本を読まれたら幸福になりますよ」と、毎月持って来て下さり、主人に渡して下さっていました。
私は、第1子を8ヶ月でお腹の中で亡くし、その上、子宮癌になり治療中でした。「1日も早く元気になって欲しい」と願っていた主人は、その『白鳩』誌の中の体験を読んで、宇治別格本山の練成会に連れて行ってくれました。「あなたは神の子ですよ」と練成会中に何度も聴かせていただき、心が軽くなっていきました。更に『生命の實相』全巻を拝読させていただいて、「私が悪い」と思い込んでいたのが、少しずつ気持ちが落ち着いて来ました。そして、地元の先輩の方々のやさしい愛深いご指導のもと、聖使命会員となり入信させていただきました。その後、白鳩会員になり、母親教室、誌友会、神想観の実修に参加し、よろこんでよろこんで支部長や母親教室リーダーを拝命し、自宅で開催させていただくようになりました。お友達、お得意先の女性にお声をかけながら、真理の勉強を楽しみました。気がつきますと、すっかりと病気が癒えて元気になっていました!!
昭和63年に地方講師を拝命し、地区連会長になり、更に生長の家の運動に力が入り、よろこびが倍増しました。失敗を繰り返しながらの出講でしたが、よろこびを表現し、感謝を伝えることが出来るようになりますと、主人の大きな協力を得まして、生長の家の活動と自営業の両立が成り立ち、お蔭様で商売も繁盛し、店内にて普及誌の愛行をし、地元で“生長の家を信仰しているお店”と評判になりました。女性の天分を学び、感謝の心にて送らせていただく日々、多くの人が入信して下さいました。しかし、平成9年に主人が肺癌を患い、56歳の若さで急逝…。
私は、自分を責める日が続きましたが、最後に言い残してくれたコトバ「これから生長の家を一所懸命にしていったら良い。それが一番や!!」と、私を心配してくれていたことを思い出し、先輩の諸先生や誌友の皆様に力強く後押しをしていただき、ひたすら三正行の実践をいたしました。その年に総連を立ち上げ、新たなよろこびが出て来ました。そして、教区連合会にて対策部を受け、母親教室や壮年層の「若い白鳩のための学習会」に力を注ぎ、先輩を見習って一所懸命に努力を楽しみました。今は、それが宝となっています。また、教区連合会の副会長を一期させていただき、多くの人々と接し、伝道に明け暮れて、体験も多くいただきました。毎日が充実していました。組織運動は、1人では成り立ちません。多くのお仲間と力を合わせて、明るく日時計主義の生き方を展開し、常に神と偕になることをよろこび、真理の書かれた聖典を読誦し、わが内なる神に中心を合わせ、受けた御恩を忘れることなく、生涯“生長の家の御教え”を信じ、時代に応じ、そのレールに乗らせていただき、しっかりと三正行実践、特に四無量心の神想観を実践し、今、常今に感謝し、「生長の家」を信仰していることに誇りを持ち、多くの人々に伝道して参ります。
次世代を担って下さる壮年の方々に、地元のミニイベントの場を通し、日時計主義、「神・自然・人間の大調和」の倫理的生活の実践に力を注いで参りますことを決意いたします。
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立教89年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞
西日本光輪賞受賞
後藤 清人講師 合掌、ありがとうございます。
去る3月1日、生長の家総本山にて「立教89年記念日」に西日本光輪賞を受賞致しました。
教化部長・久利修先生をはじめ、各組織の皆様の多大なるご支援に感謝申し上げます。身に余る光栄です。振り返ってみますと、34歳の時に病気で倒れて救って頂き43年が経過しました。
各地を転勤して、その都度、生長の家の皆様に暖かくして頂き、今日に至っています。大阪では約30年お世話になっています。
私は、農家の長男で牛や山羊を飼っていました。小学生の時から毎朝草刈りに行き、それから学校に行っていました。今、大阪では、栄える会が主で植樹をしています。維持管理の為に草取りや草刈りをして、雨の無い時は、木々に給水をしています。多くのボランテイアの方々のご支援で木々も大きくなっています。小さい時の経験が役に立っているように思います。
今一つは、アルミ缶回収のことです。多くの皆様のご支援で、車椅子を74台贈呈、子供食堂に8ヶ所支援させて頂きました。これもひとえに生長の家の皆様を始め知人友人の方々のご支援の賜物です。心より感謝申し上げます。
今、“同志を集めるための祈り”を毎日写経させて頂いています。その中で祈願(1)後継者をつくる。(2)組織会員を拡大する。この2点を重要視しています。
為すべきことは、沢山ありますが、痛切に感じます。上記の2点を常に意識して、日頃の活動を推進していきます。今後とも引き続きご指導・ご支援の程よろしくお願いします。
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立教89年 生長の家春季記念日・本部褒賞受賞者謝辞
二重光輪賞受賞
高島 實子講師 合掌、ありがとうございます。
この度、このような栄えある賞を頂戴するに当たり、知らせを初めて聞いた時、正直なところ戸惑いました。
それは、自分のこれ迄の信仰生活が果たしてこの受賞に値するかどうか? と、疑問に感じたからです。
でも一方では、永きに亘りひたすらこのみ教えを信じ、組織活動をし続けて来た事への神様からのご褒美かな? と、素直に歓んでお受けさせて頂こうと思い直し、こうして賞をお受けさせて頂きました。本当に有難うございます。
これは、ひとえに「教化部長先生」「連合会長先生」の熱意溢れるご指導の賜と感謝申し上げます。
そして又、ここに集われている先生方、教区の皆様方、そして地区の皆様方の支えあったればこそと、感謝の念で一杯です。
私は、生長の家に入る迄は、あれこれ習い、洗うのが常でした。ところが、この生長の家だけは、そうは参りません。だって仲々、底が見えて来ないんです。深くて広くて、広大無辺の壮大な大宇宙のみ教えですものね。気がつけば、入信30年という歳月が流れ、大きな節目の年を迎えました。
この平成30年は、実は私にとりまして、真に不思議なくらい歓び事が、次から次へと来るんです。私達夫婦は、5月3日でなんと結婚60年を迎えるのです。夫婦共々元気です。ダイヤモンド婚というそうです。
更に、生長の家を精進する契機となった長女(当時、子供が授からないという宣告をお医者さんから言われました)が、生長の家の説かれる三正行で女児誕生、その孫娘がこの4月から晴れて社会人になったこと。
そして又、5月に両親の年忌、つまり父の50回忌と母の25回忌を生まれ育ったふるさとで、兄弟姉妹7組・総勢14名の全員70歳以上が相集って執り行うこと。この亡き母が、生長の家を勧めてくれました。そして又、この度の待ちに待った「大講習会」の成果が、なんと吾が大総連が第一位に輝いたこと、嬉しかったです。
そして、今日のこの二重光輪賞という勿体ない様な賞を頂いたことなど、今迄の人生であり得ない歓び事が重なり、本当に「この生長の家をやり続けて居て良かった!!」と、しみじみ思わせて頂いて居ります。唯々、感謝のみです。なので、私は、この度の受賞は「励まし賞」と捉えて、これからも手足の動く限り、今も毎月行っているベル愛行に励みます。
そして、「国際平和信仰運動」「自然と共に伸びる運動」に邁進させて頂きます。今後共、皆様方のご指導とご助力を賜ります様、よろしくお願い申し上げます。
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平成30年3月1日(木) 総本山にて個人賞・団体賞・組織褒賞を受賞しました!!
3月1日(木)生長の家総本山に於いて、「立教89年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が行われ、
大阪教区はそれぞれ栄えある賞を頂きました。
誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
【個人賞】
◎ 二重光輪賞 高島 實子 講師 |
◎ 西日本光輪賞 重村 ひろ子 講師 |
◎ 西日本光輪賞 後藤 清人 講師 |
◎ 布教功労賞 長谷川 史子 講師 |
◎ 布教功労賞 小田 惠造 講師 |
【団体賞】
◎ 団体参拝練成会 樋上 和子 連合会長 |
【組織賞】
白鳩会 “質の高い組織運動”実践賞 樋上 和子 連合会長 |
相愛会 優秀賞 草野 省三 連合会長 |
青年会 優秀賞 横田 朋哉 委員長 |
栄える会 社会貢献賞 麻野 秀明 会頭 |
平成29年3月1日 総本山において本部褒賞を受賞いたしました!!
3月1日(水)生長の家総本山に於いて、「立教88年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が行われ、
大阪教区はそれぞれ栄えある賞を頂きました。
誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
【大阪教区受賞】
◎ 団体賞
夏季青少年練成会 増加数 第一位
【個人賞】
◎ 二重光輪賞 祷 良子 講師 |
◎ 西日本光輪賞 國領 正俊 講師 |
◎ 西日本光輪賞 大朝 節子 講師 |
◎ 布教功労賞 樋上 雅一 講師 |
◎ 布教功労賞 原田 静子 講師 |
【団体賞】
◎ 夏季青少年練成会(増加数) 佐々木 あづま 会長 |
【組織褒賞】
◎ 白鳩会 ―― “質の高い組織運動” 企画賞 ・ “環境保全活動”実践賞
◎ 相愛会 ―― 壮年層活動・後継者育成優秀賞 ・ 新人発掘優秀賞
◎ 青年会 ―― 優秀賞 ・ 育成優秀賞
◎ 栄える会 ―― 社会貢献賞
“質の高い組織運動” 企画賞 白鳩会 樋上和子連合会長 |
“環境保全活動” 実践賞 白鳩会 松下美恵子副会長 |
壮年層活動・後継者育成 優秀賞 相愛会 草野省三連合会長 |
新人発掘優秀賞 相愛会 佐藤 京太副会長 |
優秀賞 青年会 横田朋哉 委員長 |
育成優秀賞 青年会 井上 理子副委員長 |
社会貢献賞 栄える会 麻野秀明会頭 |
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【聖使命会費取扱者10年以上で感謝状と記念品を贈呈された26名の皆様】(五十音順)
◎相愛会 ―― 久保智彦 殿 / 出嶋創一 殿
◎白鳩会 ―― 麻田洋子 殿 / 今井美智子 殿 / 岩崎勝代 殿 / 岡田秀子 殿
岡田昌代 殿 / 樫山淑江 殿 / 坂上ミヤコ 殿
迫田和子 殿 / 澤谷孝子 殿 / 品川育子 殿 / 曽我悦子 殿
谷本要子 殿 / 千原真理子 殿 / 塚原初美 殿 / 中島佳代 殿
浜野順子 殿 / 比嘉繁子 殿 / 星野映子 殿 / 山口めぐみ 殿
山野ふさ 殿 / 山本栄子 殿
◎青年会 ―― 白谷陽子 殿 / 中井亮太朗 殿
平成27年4月12日 本部・地方褒賞授与式が開催されました
平成27年4月12日午後1時半より、228名が出席し褒賞授与式が開催されました。
本部褒賞はじめ、聖使命、普及誌、誌友会、組織会員等の地方褒賞、幹部歴、SSP、高額献資等の教区褒賞において、日常の実践への感謝の表彰が行われました。
教化部長・久利 修先生はご挨拶におきまして、改めて、大阪教区幹部・信徒・誌友の皆々様の素晴らしさを讃嘆し、久遠生き通しの神の子の生命輝く「喜びの運動」をどこどこまでも展開しようと呼び掛けられました。
最後に、真理都市大大阪創造、大阪府下885万人光明化、平成28年5月29日開催の大阪教区大講習会の3万人達成・突破に向けた万歳三唱を行い、さらなる教勢発展を誓願致しました。