千葉の灯(せんようのともしび)2025年4月
自他一如、愛の実践
教化部長 三浦 晃太郎 「人間は犬や家畜のように道に落ちている物を拾って食べたりするものではない。仕事に貴賤はないのだから、どんな仕事でもいいから働きなさい」
私が22、3歳の頃だったと思います。60年近くも前の話ですが、今でも私の心の中には、その時の父の言葉が鮮明に記憶されています。
父は抹茶が好きで1日に何回となく楽しんでいました。小さい頃からよく抹茶を買いにお茶屋さんに行かされたものです。その日も父が抹茶を飲んでいるときに、乞食のような浮浪者が、家の中をしきりと覗き込んでいたので、父はその浮浪者に「ここに来なさい」と玄関の中に招き入れて、いろいろと話をしたそうです。
私は丁度、父がその浮浪者と話しをしているところに帰ってきたのですが、玄関あたりに異臭が漂っているのです。私はとてもそこにはいられなかったので、家の裏側に回って、そっと父と浮浪者の話を盗み聞きしたのです。
父は浮浪者に熱心に抹茶を勧めていましたが、浮浪者は飲むのを躊躇していました。「遠慮しなくてもいいから飲みなさい」と父から促されて、不味そうに飲んでいました。父は「もう一杯どうかね」と勧めていましたが、浮浪者は父があまりに親切にするものですから戸惑っているようでした。
冒頭の言葉は、その時に父が浮浪者に語りかけた言葉です。浮浪者の名前は青木さん、年齢は38歳と言っていました。父は浮浪者と1時間ほど話をしていましたが、帰り際に浮浪者にいくらかのお金と果物や野菜などを渡し、「君はまだ若いのだから希望をもって生きて行きなさい」と浮浪者を励ましていました。浮浪者は何度も頭を下げながら帰って行きました。
私は「なぜ浮浪者にあそこまでするの?」と父に聞きましたが、父は「あの人が僕の前に現れたから放っておけなかったんだよ」と、何もなかったかのように話していました。
その頃の私は、生長の家青年会の愛知教区の副委員長として、よく青年会の仲間たちと「すべての青年に、人間神の子の真理を伝えよう」と張り切って活動をしていました。しかし、汚い浮浪者を見た途端に、人間神の子の教えはどこかに吹っ飛んでしまって、一刻も早く家から出て行ってほしいと願っていました。
大聖師・谷口清超先生は、「愛と伝道」について、次のようにご教示くださっています。
『(前略)最も大切にしなければならないのは、純粋な信仰者であり、愛ふかき実践者である。求道者も大切であるが、伝道者こそ大切にしなければならないのである。真の求道は、伝道である。他人を救うことは、自己を救うことである。他を愛する者であって、はじめて、「神の子」としての実相があらわれるからである。けれども、他を救うということは、決して容易な業ではない。他人に説教したからといって、他人がそれをうけいれてくれるとは限らないからである。説教者は必ずしも救済者ではない。常不軽菩薩は、決して説教者ではなかったのである。(後略)』(『聖使命』昭和42年10月11日より)
今思えば、私の信仰は真理の“頭脳的理解”に止まっていたわけです。しかし、父の信仰は、自他一如、愛の実践というか、常不軽菩薩のようにルンペンだろうと、やくざや泥棒だろうと、分け隔てなく、人々を神の子として拝むことができた真の信仰者だったのだと、あらためて尊敬の念を深くしました。
このことがあって1年ぐらい過ぎたある日、浮浪者だった青木さんが父を訪ねてきたのです。青木さんは荷馬車を曳く馬方さんという仕事をしていて、豊橋に住んでいると話していました。青木さんは父にお礼に来られたのでした。「あの時のご恩は一生忘れません」と、深々と頭を下げて、父の手をとって涙しておられたことを懐かしく思い出します。父は、浮浪者への伝道を通して、私に、真の信仰者としての道を示してくださったものと肝に命じています。
私は今、皆さんに『生長の家信徒行持要目』を日々朗唱することをお勧めしていますが、「生長の家の生き方」はこの教えの実践にあると確信しています。