千葉の灯(せんようのともしび)2025年3月
「 青少年一日見真会」を大盛会としよう 幼少年に“人間・神の子”を学ぶ機会を!
教化部長 三浦 晃太郎 「子宝」とか「子は鎹(かすがい)」という言葉は、今はあまり使われていないらしい、というよりも“死語”になっているかも知れない。
若い母親による乳幼児への虐待や小・中学生の不登校や自殺など、暗い悲しいニュースを見聞きするたびに、その思いを強くします。このような事件が起こるたびに、学校の責任や子供たちの家庭環境など、その責任の所在が問われていますが、確かな結論が見出されない現状にあります。なぜ、前途有為な少年・少女が自殺や暴力的な行為に及ぶのでしょうか。簡単に自殺や殺人に走ってしまうこと自体が異常な事態と云えます。
最近の青少年犯罪の多くは、家庭崩壊がもたらした悲劇とも言われています。一人の人間が人格を形成していくうえで、家族、そして家庭は欠くことのできない“心の居場所”です。「子供は親の背を見て育つ」と言われています。子供の素行や仲が悪く、非行に走ったり、不登校などの原因の第一は、その子供たちを産み育ててきた両親にあると受け止めることが、親としての責任のある生き方と考えます。大聖師・谷口清超先生は、次のようにお説きくださっています。
『子供たちはみな「親の背を見て育つ」のである。背中ばかりではなく、顔も見るし言葉も聞く。しかし「背を見る」とは、父母が世間に対してどんな仕事をし、どんな生活態度を取っているかを見て学ぶということだ。父と母が言い争ったり、ののしり合ったりしている時、子供たちはどんなに心配して、ドキドキハラハラしているか、背中では見えないかも知れない。そんな父母が口先だけで、いくら「仲よくせよ」とか「勉強しなさいよ」と言い付けても、「夫婦は争い合え、それが男女同権だ」などと背中で教えているようなものである。』(『神の国はどこにあるか』16頁)
子供たちがこの世に誕生し、成長し、育つ場は家庭です。祖父母や両親などの家族に囲まれた中で、子供は成長して行きます。特に子供の父親と母親の役割は、極めて大きなものがあります。産まれた時から両親が日常使う言葉や態度から、いろいろなことを学び、大人になって行くからです。幼少年期に“人間は神の子である”ことを知り自覚させることは、子供たちの将来に大きな希望と生き甲斐を与えることになります。「生命学園」や青少年一日見真会は、幼児・小学生や中高生を育成する絶好の機会です。
さて、今年の小学生、中高生一日見真会は、夏の猛暑と冬の厳しい寒さの時期を避けて、3月と10月の日曜日に開催します。(小学生は3月23日と10月5日、中高生は3月16日と10月12日に開催)
ご両親を始め、祖父母、保護者の皆さん、最愛の子供や孫たちに、「人間は神の子であり、自己の内に素晴らしい無限の力がある」ことを知り、学ぶ機会を是非作ってあげてください。よろしくお願いいたします。次世代を担う後継者の養成は、喫緊の課題と叫ばれています。とりわけ幼児・小学生等、青少年の育成は、生長の家の運動の将来を担うとともに、日本と世界の平和に貢献する人材を育てることにあり、私たちの大いなる使命と考えます。
千葉教区では、毎年、幼少年のための一日見真会を開催しています。また、幼児・小学生が「人間・神の子」の教えを、日常的に学ぶ場である「生命学園」を、教区内十三カ所で行っており、生長の家の教育法が実践されています。「生命学園」や青少年一日見真会では、主に次のようなことを学びます。
- ①“人間は神の子である”という自覚を持たせる。
- ②それぞれの個性的な天分・使命を引き出す。
- ③父母に感謝し、祖先を敬う心を養う。
- ④自他一体の自覚を養い、人と自然を愛し、日本と世界の平和に貢献する人材を目指す。
生長の家は、“善き言葉の力による運命改善運動”です。両親や周囲の人たちが日常使う言葉によって、子供たちはどのようにも育って行きます。家庭環境の善し悪しが、異常な事態に繋がっているものと考えます。まず大人から明るい善い言葉を積極的に使い、“日時計主義の生活”を実践しようではありませんか。