真理への道はただひとつ
「人間は神の子だ」ということである

千葉の灯(せんようのともしび)2024年7月

〈夏の青少年見真会を、大盛会としよう〉人間の本性は“神の子”である。人生必勝の“秘訣”はこの自覚にある!

教化部長 三浦 晃太郎
教化部長 三浦 晃太郎 「私は、実の母に虐待されて育った。母は結婚せず愛人とうまくいかなくなると、私に当たり散らした。夜中に酔って帰り、寝ていた小学生の私に、こたつのやぐらを投げつけたこともある。私は非行に走った。シンナーから始まり、あらゆる薬を覚え、揚げ句に重いアルコール依存症。もがけばもがくほど沈んでしまう泥沼だった。

 そこから救い出してくれたのは、主人だった。彼は何もかも承知で結婚してくれた。一年後、かわいい男の子を授かり、その子も5歳。こんな私を「ママ、ママ」と信じきっている。私も一人の「女」になり、あのころの母の心が、少しわかるような気がする。私は母を恨み続けてきた。でもお母さん、私は忘れます。私がいま幸せなのは、あなたがこの世に送りだしてくれたから。私を産んでくれてありがとう」この話は、以前「読売新聞」の“赤でんわ”という頁に「産んでくれてありがとう」と題して掲載されていた32歳の女性の投書です。

 私生児として生まれたこの女性は、小学生の頃の母親からのいじめや、非行に走るなどの苦難を体験されたが、愛深いご主人と巡り合い、男の子の母親となって自分の幸せを実感したとき、長年母を恨み続けてきた心が、感謝の心に転換することができたのです。どんなに厳しい環境にあっても、本当は誰でも“父や母に感謝したいという本質的な願い”が、潜在意識の奥底にはあることを投書は物語っています。

 世の多くの人々は、人生の真の目的とは、何のためにこの世に生まれて来たか、なぜ父母に感謝しなければならないのか、何のために仕事をし、勉強をするのか等々、人生の根本的な命題とも云える事柄について正しく知る機会が少なく、肉体の本能的な欲望のままに、刹那的な人生を歩んでいると思います。
 特に、次世代の世界や日本を担うべき青少年たちは、現在の知育偏重とも云える教育の中で、人間の神聖性や尊厳性について、また、地球環境保全に向けた取り組みの大切さなど、当然知るべき事柄について学ぶ機会が少ないと思います。自分自身に誇りのもてない者が、真に国や地域社会に貢献する人間にはなり得ないと考えます。

祈り 『生命の實相 頭注版 第13巻 倫理篇 上』には、次のように書かれています。
 『われわれ人間の魂を湧き立たすあらゆる問題のうちで、最も重要な問題はなんであるかといえば、人生の目的如何? ということであります。むろんそんなことを頓着しない人間はたくさんあります。そういう人間はただ五官の世界にだけ住んでいるのでありまして、人間とは肉体であり、肉体を楽しましめることができれば、それで善いものだと漠然と考えているのであります。そして、地上の生活時期が終わって肉体がまさに彼からもぎとられようとするときになってから、初めて「なんのための自分の人生であったのか、自分の人生に、永遠的価値ある何物かがはたして残されていたであろうか」と振り返って、長大息するのであります(後略)』(『生命の實相 頭注版 第13巻 倫理篇 上』55頁)

 「生長の家の教育法」の基礎は、人間の内部に「神・仏」が宿っていることを信ずること。すなわち人間の本来性が円満完全なる神性・仏性そのものであることを信ずることである、と教えられています。人生の目的も、教育の目的も、自己に内在する神性・仏性を明確に自覚することにあります。母親に感謝することなど考えられなかった女性が、ご主人と子供との愛に満たされた生活を得たとき、母への恨みの心が感謝の心に変わり、“私を産んでくれてありがとう”とまで言えるようになったということは、現象的にはいくら不完全な状態が現れていても、人間の本性が、本来円満完全なる神の生命そのものであることの証左であります。

 谷口雅春大聖師は『子供は幾ら幼くとも、適当な教育を施しさえすれば、早ければ早いほど好い。生命の生長は毎日行われると云うことを知らなければならない。それは毎日生長するのだ。今日発達すべき筈の生長を明日に延ばすならば、生長はそれだけ遅れる。』とご教示くださっています。
 子供たちが幼い時から、両親や周囲の人々が、日常生活を通して、人間は神の子で素晴らしい存在であることを、たえず教え伝えていくことにより、将来、希望に満ちた充実した人生を歩むことが約束されます。

 

 

 


自然の中で友だちと食べた最高のカレーライス
(昨年の小学生一日見真会)