今回のブックレビューは、
*** 『二百字日記 1』
谷口雅宣(著) ***
*** 『気楽なさとり方 般若心経の巻』
宝彩有菜(著) ***
です。内容を一部抜粋してご紹介します♪♪


二百字日記 1
著者:谷口雅宣
No.27 (p.67)
朝、天気は悪くなかったが、歩いてオフィスへ行った。理由の一つは、自転車ではキノコが見つからないから。人は移動のスピードに応じて、見る世界が変わる。これはたぶん、獣や鳥も同じだ。緩やかな移動は、環境の細部への注意を引き出す。逆に、新幹線や航空機での移動は、環境の軽視や無視につながる。人類はこうして環境を壊してきた。
徒歩通勤の所要時間は約四十分。大きなジゴボーを五本採った。
No.35 (p.83)
今日も、ほぼ一日の会議。前日の夜鍋と、ヴァンフォーレ優勝の勢い、そして会議参加者の頑張りが実って、“峠”は越えられた。
自転車できついコースを走っていても、ある程度頑張ると、ふと苦しさが緩むことがあり、その先はむしろ楽になる――そんな境地と似ている。
難問解決にも、似た過程がある。悪戦苦闘の末、トンネルの出口が見えれば、あとは歓びが待つ。まったく「苦は楽なり」である。
No.78 (p.169)
小雨で濃霧の中、歩いてオフィスに行った。視界は二〇~三〇メートル。
不安がある“山越え”のルートはやめて、民家が続くやや遠回りの道を選んだ。不安の対象はクマだが、まだ遭ったことはない。が、万が一を考えた。
『霧の街』の歌詞が浮かんだ――「霧の奥に全てがある」「闇の中に全てがある」。サンパウロでの清超先生の作品だ。つくづく本当だと思った。あるものを認めて前進するほかはない。

気楽なさとり方 般若心経の巻
著者:宝彩有菜 
大肯定、明け渡しで悟る (p.33~35) 
大肯定とは良いことも悪いこともみんな肯定して生きて行こうというものです。どんなことが起こっても何も否定しないで、全部を肯定して解釈します。
すると、今までのことも、今からのことも何も問題では無くなってきます。
過去も未来も何も考える事がありませんから、意識は「今ここ」にだけ働きます。
しかし、実は、「今ここ」には「頭」が考えるような深刻なことは何もありませんから、気分はすぐに大幸福になります。
深刻なことはすべて、未来や過去のことだからです。
大肯定はどちらかというと過去に向きやすい「頭」を現在に留めるやりかたですが、明け渡しは、未来に行きそうな「頭」を「今ここ」に留める方法です。「頭」は、このままでは損をするとか、危険なことが起こるかもしれないと思うと、なんとかしようといろいろ考えます。
つまり、心配や不安ですぐに「頭」がフル回転になります。
これを止めるには、自分の人生や運命をすべて天に任せてしまうことです。
自分は守られているから大丈夫。
自分は宇宙から愛されているから大丈夫。
神様にお任せして大丈夫。
などと、自分が守られて愛されていることを信じます。
すると、
「私は何をしなくても大丈夫」
「私は私のままで大丈夫」
と思えます。
不安が消えます。同時に思考が消えます。悟れます。
信じる人は救われます。
現代人向けの悟り方 (p.35~36) 
「でもねぇ、なかなか信じられないですねぇ。ぼんやりしてると、きっとひどい目に合いますからねぇ」
「あはははは、だから、小松茸みたいな、信じられない人には最も難しい悟り方だ」
「へい」
「まぁ、そうしょげるな。信じられないのが普通だ。何でもすぐに信じると悪い奴に騙されてしまう」
「そうでしょう。そうでしょう」
「そこで、小松茸のように頭が良くて信じるのが苦手な人向けに良い方法がある」
「そうそう、小松茸のように頭が良い人向けの……」
「疑り深いってことでもあるんだけど」
「はぁ、でも、笑雲先生、現代人ってみんなそうですよ」
「まぁ、そうかもしれないね。科学が発達しているから、何でも合理的に考えてしまう。だから、『何かを信じる』ってことが難しくなってきているのだろうね」
「そうですよ」
「でも、大丈夫だ。そんな合理的な人向けの悟り方がある」
「それそれ、それですよ、小松茸が探していたのは。して、それは?」
「それが、般若波羅蜜多じゃ」
「おおー、凄い。待ってましたぁ」
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