今回のブックレビューは、
*** 『父と母のために』     谷口清超(著)  ***
*** 『父母の愛を求めて』    楠本加美野(著)  ***         

です。内容を一部抜粋してご紹介します♪♪




父と母のために


著者:谷口清超




唯神論になる(p.82〜83)

 従って当然父母といえども、子供を「自分と同等、乃至はそれ以下のもの」と考えてはいけないことになる。即ち、自分たち父母の才能以上のものは出て来ないだろうなどというつまらぬ考えに陥って、子供をバカにしていてはいけないということです。しかし現実には、とかく父母自身がそのように自分自身の能力圏内に、子供を閉じこめてしまい、「自己限定」していることがよくあるのです。そして偶々すばらしい子供が出てくると、「鳶が鷹を生んだ」
 などといって驚く。しかし鳶が鷹を生んだのではないのであって、神の子が神の子を生んだ。何故なら父母も「神の子」であって、人間は肉体ではなく、その本質は生命であり、その生命は親も子も「神」であり「仏」であるからです。この自覚があるとないとでは、その家庭生活に天と地の差が生じます。一方は子供をバカにしたり、自分の所有物扱いするが、他方は子供を「神の子」として尊び、愛し、いたわり、そして正しく導くことが出来る。こうしてこの子の前途には無限の可能性が開けてくるのです。
 こう考えてくると、この世の全ての父母が唯物論の世界から脱却することが、何としても一番大切だということになってくるでしょう。そして唯神論にならざるをえない。心を第一とする唯心論ではなく、それを超越して、さらにその奥にある「神の子・人間」なる生命を礼拝するところの「唯神実相論」に突入するのです。その時人間は真に自由自在となり、まことの親となり、子となり、父として母としての任務を全うするということになるのです。





父母の愛を求めて

著者:楠本加美野  



鎌をもって暴れる父の奥に……(p.66〜67)

 婚家先に、近所でも評判の口やかましいおばあさん(姑)がいたのであ った。結婚式のその日から二十四年間、今日まで、一日として文句の言わ れない日はなかった。二十年目くらいから、あの姑早く死んでくれないか、私はいつになっても、お嫁にきた時と同じではないかと、毎日毎日、うるさいうるさいと思い続けていたのであった。
 その福井さんが、ふとんの中で懺悔した。今まで、うるさい、うるさいと思い続けてきたが、あの時は、私を愛していればこそ、私を思えばこそ、言ってくれたのだ。あの時もそうだったかと思い至った。彼女は二十四年間の、姑に対するさまざまな憎しみの想い出すべてを感謝にかえた。
 近所でも評判の口うるさい姑の言葉を、うるさいと思うのが正しいか。私を思えばこそ言って下さったと思うのが正しいか。それは理屈ではない。どちらの考え方をした人が、幸福になるかによって決められる。
 彼女は、一晩中泣いて懺悔した。そして次の朝、起床放送と共に起き、さて鏡を見てびっくりしてしまったのである。黄色かった顔色も、黄色かった目の色もすーっと消えていた。気がついてみると、腹の痛みもなくなっていたのである。
 愛と感謝が病をいやしたのである。このように、うるさい言葉の奥にある愛を発見したとき、うるさい姑にも感謝することができたのである。そして感謝したとき、三つの病がいっぺんに消えたのである。
 正しい人生観とは“愛”の人生観である。
 正しい生活法とは“感謝”の生活である。