今回のブックレビューは、
*** 『誌友会のためのブックレットシリーズ4
         ――戦後の運動の変化について』  谷口雅宣(著者)  ***
*** 『暮らしの心理学』               小田晋(著者) ***

です。内容を一部抜粋してご紹介します♪♪




誌友会のためのブックレットシリーズ4
――戦後の運動の変化について


著者:谷口雅宣



生長の家の「鎮護国家」(p.35〜37)

谷口雅春先生は、龍宮住吉本宮における「鎮護国家」の意味を、日本国の安泰や日本国内の安寧だけに限定されてはいなかった。それよりもむしろ、「日本を通して世界平和を実現する」という強いご誓願を込められていたのである。そのことは、同本宮の落慶大祭のとき先生が唱えられた「鎮座降神詞」の中に明確に表現されている。同本宮の御神体は「護国の神剣」であるが、この「護国」とは、日本国家を外敵や外国思想から護るという意味では必ずしもないことが、祝詞の次の文章を読めば分かるだろう――

  掛けまくも綾に畏き住吉大神、龍宮実相世界の天津御座より、此の
 瑞の御殿龍宮住吉本宮の、御神座に奉安し奉る。
  ここに“護国の神剣”に、大神の尊き神霊を天降し給ひて鎮座して
 この神剣を世界平和の核として、この神剣より世界全部に輝くところの
 平和の霊光を発し給ひて、まことに地上に天国を創造給へと請ひ祈み
 奉らくと白す。(後略)
                      (『生長の家』1979年2月号、33頁)

 この祝詞の文章には、左翼思想を表す「赤き龍」とか「唯物思想」などの言葉がないどころか、「日本国」や「わが国」など、日本を表す言葉も一切含まれていない。そのうえ、「護国の神剣は世界平和の核」であるとの明確なメッセージで統一されている。同じ祝詞の後半の文章には、次のような箇所もある――

  今ぞ護国の神剣に天降りましたる住吉大神の神霊より平和の霊光世界
 全部に広ろがりまして、洵に地上に天国は創造せらる。明日より、凡て
 のことは浄まりまして、世界は別の姿を現すのであります。有難うござ
 います。有難うございます。           (同誌、同頁)

 もちろん、「護国」の二文字は「神剣」の修飾語として使われているから、ここには「現象としての日本国家を外国から護る」という意味合いが含まれていると解釈することはできる。しかし、その反面、御神体が「剣」であって「刀」でないことの意味を、雅春先生は何回も語られてきた。それを思い起こすと、私たちは生長の家の運動が日本国家の独自性の擁護などというナショナリスティックな狭い目標に限られていないことに気づくはずである。
 このような指摘は、生長の家が生政連運動を推進していた頃の谷口雅春先生のご文章を記憶している人々には、恐らく意外に感じられるかもしれない。しかし、「鎮座降神詞」に込められた先生の最大の願いは「世界平和」だったということは知っておくべきである。





暮らしの心理学

著作:小田晋  




癒しの機能をもつ笑いとユーモア(p.66〜67)

 人生の難問にぶつかったとき、あるいは日常の心配事や面倒にまきこまれているとき、「何でも真面目がいい」というので、その問題に首までつかってしまうと、かえって蟻地獄のように動きがとれなくなるものです。対象と「少し距離をとる」ための生活の知恵が、笑いとユーモアの利用です。
 精神分析学の創始者であるジーグムント・フロイト(1856〜1939)は、笑いの機能を、「ねぇ、君、人生って大変なものだと思えるだろう、しかし、やってみると存外他愛のないものだよ」ということがわかったときに生じる緊張の緩和であると言います。怒りや憎しみ、不安や緊張を、人間は「笑う」ことでいなしてしまえるのです。
 たとえば、対人恐怖症や赤面恐怖症の患者さんに、症状を避けることではなくて、毎朝、「さあ赤くなろう、お猿さんのように赤くなろう、マントヒヒのように赤くなろう」「さあ今汗をかこう、人前で冷汗をかこう、昨日はタオル一本分の汗をかいたが、今日はバケツ一杯分の汗をかこう」と自分で言い聞かせるようにすればいいというのが、オーストリアの精神科医、V・Eフランクルが提唱する「逆説志向療法」です。
 そうやってみると、急には赤面することも、人前で冷汗をかくこともできるものではなく、はてはおかしくなって笑ってしまい、神経症による不安から遁れられるというのです。
 提唱者のフランクル先生に言わせると、動物のなかで「笑う」のは人間だけであり、聖書のなかの神様は笑う(『古事記』に登場する日本神話の神様たちも盛大に笑います)。人間が笑うのは、人が神の似姿(=神の子)だからだというのです。
 つまり、笑いはもっとも人間的で、癒しの機能をもっているのです。